ロボッ徒の夢はマルチタスク

WORLD ORDERのライブ「WORKING WORLD」を観てきました(21日昼の回)。面白かったです・・・初めて生で観たWORLD ORDERの方々の感想は「美しいスタイル!」「動いてる!」でした(<もうちょっと語彙を・・・)冒頭を飾る「THE HISTORY OF VOICE」、背景のモノクロ映像も観たかったけれどとても注意が回りませんでした。
デジタルに作られたアナログ時計の時報とともに始まる物語は通勤風景、そしてオフィス・・・スーツ姿と様式化された動き、シュールな流れがどこか“真鍋博挿絵の星新一ショートショート(※個人というよりもはや世界の一部を構成している概念なので敬称略をご容赦ください)”的にも思えてきますし、時々挟まる音楽もテクノ・ハウス系に限らずジャズ、マンボ風のもの(?)などレトロフューチャーな雰囲気、そんな感じにご紹介しますと・・・
WORLD ORDER氏(複数形)はビジネスマンロボット、オフィスで一心に机に向かいます。時々、怖~い部長のS氏が進捗を見回りに来るときには一層力んでキーボードを叩きますが、焦るほどにエラー表示は増えるばかり・・・「もっと機械的に!」「競争意識!」「完璧なロボットだろう?!」S氏は威圧し、専制的に支配して効率を上げさせようとしているようですが・・・
そんな、須藤氏演じるモーレツブラック上司の元で壊れそうなほど酷使される狭間に、突然差し挟まるシュールな笑いの「ロボッ徒競争」映像あり、可愛い可愛いOLさんたちと恋に落ちてしまう場面あり(ゲストのAKBの方々はダンスに特化したチームなのだそうで、WORLD ORDERの壮健なるお兄様方の半分ぐらいしかなさそうな質量でキビキビ踊る様子も可愛かったのですが、一緒に踊る場面でお兄様方の優しいエスコートで腕を組んで踊る様子がもう可愛くて可愛くて・・・勿論お兄様方もカッコよく且つ大変お可愛らしかったです。のちのトーク部分に蝶ネクタイで出てこられた須藤マスター含めて!(笑))、そして場面の切り替わり毎に入るパフォーマンスのかなめは勿論WORLD ORDERの曲とダンスです・・・
どの曲も、MV、ライブでの動きとそれぞれ面白さがありますが、「MULTIPOLARITY」はライブでの動きのほうが好きなくらいかもしれません(MVはMVで面白いのですが)。優しいユーモアの向こうにどこか哀愁を感じさせるMVがとても好きな「QUIET HAPPINESS」は、初めて見るライブでのパフォーマンスも詩的で、見られてよかったと思いました(イントロと最後の部分の、うつろう心を表すように少しクラッ・・・としている部分や、強い逆光のライティングのなかほぼシルエット状態で踊る6名の姿はあの詩情を再現しているように思えました)。これは静かな演出でも観てみたいなぁ・・・
「MACHINE CIVILIZATION」は背景に対するどういうスケール感で見ても後半の幾何学模様の部分でおぉ・・・となってしまうのですが、生で観ても然りなのでした。あの、正面から見える人数が刻々と変化していくくだりが好きすぎて見入ってしまいます(あと、1列に並ぶ部分が、敢えて没個性のようにスーツを着込むの彼らの個性が初心者にもきちんと解る感じがして個人的に好きです)。Vo.や演技がオリジナルとはまた雰囲気が変わる6名体制「WORLD ORDER」(落合氏の多軸関節ロボ的な・・・)も良いなと思います・・・「MIND SHIFT」は・・・須藤氏が入っているのも見てみたかったなと思いましたが、千手観音のくだりはやはりおぉ・・・となるのでした。
ちょっと驚いたのは、最初の回(20日)から参加しているという事なのか、ダンドリを解っておられる方が沢山いて逐一盛り上げておられるという(上西氏の高速回転にヒエッ?と思っていましたら会場からはすかさずヒュー!と声が上がりますし、フォーメーションの一部分と化しているはずの富田氏が客席に向いているほうの手だけで“カモン声援!(チョイチョイ)”となさるのにはやられてしまいました)・・・終盤のトーク部分で須藤氏が、今回のものは昨年夏のアットホームなライブ(“文化祭”と呼ばれるもの?)と通常のライブとの間をとった、という趣旨のことを仰っておりましたが、ライトユーザーの身としては熱心なファンの方々とWORLD ORDERのあ・うんの呼吸に立ち入るのもハードルが高すぎますのでたまたまとはいえ初観覧が中間をとったくらいのときでよかったです。最後の「HAVE A NICE DAY」ではステージ上の人々までサイリウムを振り出しますし、確かにカオスでございました。なお客層もなかなかの多様性ぶりで“こういう人が多い”というような傾向めいたものは性別も年齢もほぼつかめず、入場列に並んでいる際も、2つ前は熱心なファンとみられる女性二人組、1つ前はロシア語?のような言葉を話す男女の外国の方、後方は関西弁を話す男女といった具合でした・・・

AKBのゲストの方々、私はアイドルグループというのはどうも不安になってしまい敬遠しがちなのですが(特に年若い人の場合、当人たちの頑張りを搾取するような市場ではないかと心配に・・・)、WORLD ORDERとセットになるとダンス、パフォーマンスという目的性がハッキリするせいか安心して楽しくみられました。itunesでちびちび買い揃えたEP「WORLD ORDER」(イエ、当初は「MIND SHIFT」だけ・・・というような気持ちだったのにいつの間にか・・・(汗))中で唯一入手していなかったtrfのカバー「BOY MEETS GIRL」をDLしてしまったじゃありませんか・・・
話はちょっと遡り、そういえばストーリーのほうは?曲を挟んで次々と変わるシーンは展開があるようでいて無関係に切り替わっていく画面のようにも見えますし、一方で背後に動き続けているプログラムがあるようにも思える・・・
「ロボットに愛などいらない!」幸せそうだったWORLD ORDER氏(複数形)と美少女OLさんたちの恋を禁止してまで、強硬スパルタ上司のS氏は声を張り上げ続けます。止まないエラー表示と動作不良、オフィスが既に尋常ならざる状況なのは明らかなのに・・・そして遂には、ロボットはかくあるべき、完璧なロボットであれ、と怒鳴り続けるS氏自身にまで深刻なエラーが生じ始め・・・?
カタストロフィを迎えたその後、冒頭と同じ時計の表示とともに再びの「WORLD ORDER株式会社」オフィス風景です・・・よかった、“深夜にロボットが爆発”とニュースで報じられた事故は大事には至らなかったようです・・・
と、その場にいる面々は同じ姿ながら様子が随分異なります。あだ名で呼んだり、恋の行方を詮索したり・・・「また部長に「競争意識もて」って言われちゃったよ!」「平気平気、あれ部長の口癖だから!」
そこに部長のS氏が登場するも、彼もこれまでと随分様子が違う・・・この間のプレゼンは成功したぞ、伝えて喜び合う彼らの姿でお話は終わっていきます。
はて、彼らと見分けられないほどうり二つの、あの息苦しかったロボットたちのオフィスは一体何だったのか?やはり花火大会に紛れて爆発してしまったのでしょうか?それともS部長を含めたロボット営業部のシステム不全に気付いたエンジニアが、デバッグのうえ7体の処理の結合に適度なゆるみを持たせるように変更したのでしょうか?
或いはあのもう一つのオフィス自体、大口の契約の成否を控えて、一つのミスもなく完璧にしなくては、自分や部下はやれるはずだ(そうだろうか、もしダメだったら・・・?)と内心ストレスを抱えていた、日ごろはおおらかなはずのS部長の見た悪夢にすぎなかったのでしょうか?
そして本当にロボットに愛情はいらないのでしょうか?あのロボットたちの様子・・・大事な人を慎重に丁寧にエスコートし、機能にそぐわない無理を強いられれば傷つき不調になる、そんな当たり前なことなのに、人間自身すら時に何かと天秤にかけて否定してしまう人間/ロボット“らしさ”とは、果たして・・・
次元の狭間に紛れてしまったロボットたちのオフィスにも幸あれ、と思ってしまいました。激しい音とリズムとパフォーマンスにボーっとしすぎたのか、終わった帰りに危うく電車を逆方向に乗り間違えました(汗笑)。

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坂田健と牧史郎を探して・・・【映画「シン・ゴジラ」鑑賞】

私は「ゴジラ」(1954)が好きですが、「帰ってきたウルトラマン」(1971)シリーズ初期の2つの前後編作品「二大怪獣東京を襲撃/決戦!怪獣対マット」「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!/二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」も好きでして(何ですやぶからぼうに)・・・前者は、捕食関係にあると設定される個性的で秀逸なデザインの2体の怪獣が足元の人間文明の事情など無関係に暴れまわり、後者はどこか憎めない産卵期の夫婦怪獣が東京湾に大災害を持ってきてしまうという、怪獣好きな方にとって魅力的な怪獣モノに違いないと思うのですが(私は怪獣好きとは言えないのですが「帰ってきた~」の怪獣たちはどこか愛嬌があり印象に残ります)、何より感心してしまうのはこれらの物語があくまでも児童向け娯楽の文体を守りながら、甚大な非常事態が起きたとき社会の側にどのような混乱が起きるかについても端的な表現ながらかなり冷静に描いている点です・・・
例えば前者では被害拡大を防ぐために僅かな残存者の命を諦めてでも高性能爆弾を落とす判断に踏み切ろうとする当局と、強制力を持った避難指示に翻弄される市民、その狭間で苦闘する実働部隊MATの姿が描かれ、後者では、災害が経済と切り離せないこと=不可避な災害であったことを証明できない船長に課せられる補償金、慎重な対処を方針とするMATに工場操業停止を頼まれた企業がそれを不服として、別指揮系統で早急な対処を方針とする自衛隊に協力をする、といったくだりが描かれる・・・今のように家庭用の録画手段や簡単に手に入るソフトが普及していない時代に(再放送は沢山あったでしょうが)、一体どれだけの理解力と集中力が視聴に要求されたのだろう?(それだけ造りに自信があり、主な視聴層である子どもの理解力も信頼していた、或いは親が子どもの疑問を補うことが出来るであろうことを想定していた?)とビックリしたものでした。
何の話かと申しますと、映画「シン・ゴジラ」を観てきたのでした。私はゴジラシリーズの他作品も(またその他の怪獣映画も)観ていないので当初はそっとスルーしようかとも思っていたのですが、迷った末に観てみましたら楽しめましたので良かったです。
個人的には特に、起承転結のうちの起・承にあたる部分=“巨大不明生物”が出現した場合の日本の行政とは?という着想に特に興味をひかれました(以前、MATとウルトラ警備隊の方向性の違いと関係についてこんな妄想(>過去記事)を試みたことがあったのですがそこを詳しく具体的に例示された感じで、成る程~と思ってしまいました)。3.11当時の報道を多く参考にしたであろう映像と“想定外への対応”をディテールと風刺性をもって怪獣ものの文脈に乗せるのが、閣僚や自衛隊関係者etc...に扮するベテラン演者さんたちのキレのいい演技なのですが、一方で、若きエリートである主人公・矢口を中心に急きょ組織される、組織のはみ出し者ばかりのゴジラ専従チーム=略称「巨災対」の描写はむしろ実在職業ヒーローもの~特撮ヒーローものの中間に位置するような雰囲気で、その文脈においては勿論成功しているのですが、この少々アプローチの異なる2側面を1つの物語世界の中にどう捉えるかが観る方にとっての好悪の第一の分岐点だったのかなあ、というような印象も持ちました。
(以下、ネタバレを含む・・・かもしれませんので鑑賞前で気になる方はご注意ください・・・)
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前述したように、“想定外”にどんどん対応できなくなっていく国のトップのありようを超常ヒーローなき怪獣ものとして描いていく部分は、シナリオや映像面の工夫も勿論でしょうが、個人的には配役の妙と役者さんの巧みさに寄与する部分も大きいと感じました。刻一刻と姿と情勢を変えていく“巨大不明生物”をめぐる「上陸しないって言っちゃったよ!」等の大河内総理と周囲のやりとり(台詞が不正確でスミマセン)などは大杉蓮氏の演技もあいまっても~しょうがないなぁとある種の笑いをもたらすのですが(現実世界の実在の首相がアンダーコントロールなどとのたまった件についてはとてもそういう気持ちにはなれないわけで・・・)、この一見国民受けに腐心しているかのような作中の首相が、深刻さを増す事態の中で逃げ遅れの市民の存在をギリギリまで想定し、対ゴジラの武器使用許可にあっても「自衛隊の銃弾を国民に向けるわけにはいかない」と粘ったり、官邸からの避難を勧められるもその場を捨てることに良心の呵責を感じたり、恐らく根は庶民的で愛すべき人なのだと感じさせるくだりは、それにひきかえ現実は・・・?と逆説的に風刺になっているようでもあり、よくある老獪な政治家・官僚パターンなしに風刺を実現できたのは役者さん方の芸達者ぶりがあってこそではないかと感じます(ちょっと落ち着きのない総理の脇を柄本明氏扮する内閣官房長官がしめている感じなのも何とも)。自衛隊渾身の“タバ作戦”、余貴美子さん扮する防衛大臣が悔しさを顕わにしながらもきっぱりと失敗を認め戦力の逐次投入をしないところや、即座に頭を切り替え住民避難誘導に向かおうとするピエール瀧氏扮する自衛官にもグッとくるものがあります。
そして大きな転機とともに大河内総理が物語から退場し、平泉成氏扮する里見総理大臣臨時代理が担う後半では、個体増殖するゴジラという“国外拡散の恐れがある有害物質”に対し多国籍軍(!)が編成され、東京が熱核爆弾の標的になるというトンデモにしてイヤに現実的で皮肉な展開・・・まさに、冒頭にご紹介した「帰ってきたウルトラマン」の“東京大破壊シリーズ”をディテールをもって大人向けに現代に翻案するとこうなるのでは、と思えてきます(同作でも首都が怪獣に蹂躙されることが他国にどう思われるか、を当局が気にする場面がある)。
ただ、この世界には「帰ってきた~」で岸田森氏が演じた、主人公・郷秀樹の兄がわりともいうべき坂田健はいない・・・幼い日に東京大空襲を生き延びたからこそ、国家にとって≪国家≫を守ることと≪国民≫を守ることが時に必ずしも一致しないことを体感として知っていた彼の危機感はしかし、本作「シン・ゴジラ」においては日米安保体制上での情報提供の駆け引きや、半ば諦めのように漏らされる「“国”を守るって大変だなぁ・・・」といった人々の僅かな台詞によって辛うじて書き込まれます。そして厄介ごとの渦中に突如担ぎ上げられた形の里見総理代理もまた市井の感覚を知る人物として描かれ、360時間後のゴジラ攻撃までに都内から避難せよとの多国籍軍(実質米軍)からの一方的な通告に「避難は住民にそれまでの生活全てを捨てさせることだよ、気安く言わないでほしいなあ!」とごちる様子には、現実世界の政治家もこのくらい国民を思いやる心があってくれたらいいのだけれど・・・という気分にもなります。(終盤での里見総理代理の位置づけが映画「日本のいちばん長い日」ラストをどこか思わせるのは制作陣のシュミ?)

一方、長谷川博己氏演じる若き内閣副官房・矢口・・・ゴジラ映画としてゴジラに直接向き合う主役は彼であり、巨災対は物語のある段階までは一室にこもりゴジラ対策を練る専従チームとして描かれます。首相ほか巨災対“以外”の人々はむしろ社会的な(この映画の物語世界の中での“ゴジラのいる現実”の)戦いの中に描かれるのに対し、隔離された部屋の中の彼らはどこか浮世離れしているようにも感じます(勿論終盤はそれどころでなくなってくるのですが)。
痩身でハンサムな長谷川氏が演じることもあってか、そもそも矢口はどこか不思議な人物像です・・・誰もが漠然とそれまでの災害から類推するに留まる初期対応時点で、一人“巨大不明生物”の可能性を示唆し、ゴジラが一時海に戻ったことでもう危機が去ったかのように話す大臣らにも安易に同調せず、信頼できる友人に信頼できる仲間集めを任せる・・・本作は「(過去作の)ゴジラが訪れなかった世界」だそうですが、どうも矢口だけはこの種の危機を経験したことのある別世界からこの世界を救うためにやってきた存在のように見えて・・・その姿は、現実の中で足掻きながら成長していく青年・郷秀樹というよりも、風来坊として突如現れ地球の危機を伝える都会的で謎めいたヒーロー、モロボシ・ダン(ウルトラセブン)のようなタイプに近いようにも思えてきます。
この、巨災対とそれ以外のタッチの違いが同居する状態に(それぞれの文脈はうまくいっているだけに)戸惑った面はありました。特に前半~多国籍軍が・・・のくだりへの風刺的側面が興味深いだけに、むしろこのまま誰も最後まで“ゴジラ”という存在を見定められないまま語られる物語でもよかったのでは、とも思ったりもしたのですが・・・
とはいえ、人々にもはや打つ手が無くなったとき、矢口はついに“ゴジラのいる(この世界での)現実”の戦いの場へと姿を現します。終始物静かで冷静だった矢口が「居なくなった者をいっても仕方ないだろう」と思わず声を荒げる後半から(やはり台詞が不正確でスミマセン;)、仲間の力を得た彼が、盟友である政調会長・泉にぶっきらぼうにも帰還を待つと念を押されつつ危険な前線に赴く・・・放射線防護服に身を包んだ主人公の号令一下繰り広げられる死闘は、ほぼ直截に原発事故の報道映像を参考にしたであろうビジュアルが複雑な思いを喚起しますが、特殊車両の第一陣全滅の知らせを受け、祈るように固く目を閉じた次の瞬間「この機を逃すな」と自らを立て直す様子はヒーローものの王道的でもあります。

そして戦いの果てに触れられなければならないのが、“放射性廃棄物を食べた極限環境(微)生物”というゴジラそのものの設定でしょう(極限環境微生物を体内に住まわせているのか、ゴジラ自体がそれなのかまでは一見してよく読み取れなかったのですが)。その特殊な元素変換能力によりゴジラ災害からの復興が10年ほどのめどとみられること---現実世界(我々の住む、映画の中ではない)の、事故原発の廃炉完了より遥かに短い期間で---これは作り手が物語に救いを作りたかった・または突き詰める気がなかったが故のある種のご都合主義なのか、それとも計算されたうえでのかなり遠回りな皮肉なのか?
ここで見る側にも迷いが生じてしまうのが、SF面でも凝っていそうな本作の少々大味に感じる箇所なのですが・・・終始張り詰めた表情であった尾頭課長補佐の笑顔が見られる一見希望に満ちた終盤のシーンなのですが、名作アニメ「風の谷のナウシカ」の“腐海”の如く、その性質故に人類と相いれない脅威であったゴジラが、同じ性質故に人類に、こと狭い国土に使用済み核燃料を余らせている日本においては“有効活用”の議論を呼ぶかもしれない可能性には特に触れないまま物語は終わっていきます。
志村喬氏扮する山根博士、平田昭彦氏扮する芹沢博士によって描かれるように初代「ゴジラ」が科学の功罪をテーマの柱の一つにしていたことに比べると、本作ではそこはあまり前面に描かれず(冒頭に御用学者が役立たない、というシーンがありますが異常なのは事態であって御用学者たちの言は割とまともであるのがスタンスの相違のように思えるのですが)、既存の薬剤の組み合わせでゴジラに対抗する手法然り、「プロジェクトX」的に盛り上げられる戦いのクライマックス然り、おおむね科学は背景としてとらえられ、今は自信を無くしたかに思える“技術立国日本”への応援歌のようにとれる節があります・・・そこに「ナウシカ」における工業都市ペジテの行く末---自分たちには巨神兵を制御できる、善く使えるはずという自負があった---を思い出してしまうのは、果たして庵野監督と“巨神兵”のあまりに長きに渡る縁のせいのみなのかどうか?
喉元過ぎればなんとやら、ゴジラの強大な能力を欲してしまうのは、その力の前に存亡の危機に瀕した人類自身かもしれない・・・物語冒頭で失踪が確認される以外には登場すらしない、ゴジラの秘密に迫ったとされる“マキ・ゴロウ”なる研究者は核開発を憎んでいた・・・ゴジラを野に放ったのは誰なのか?果たしてゴジラはこのまま静かに眠り続けることが出来るのでしょうか?
思えば本作には、科学の悪用を「憎む」とまで形容し、犯人を追う中でその明暗を自らの意思で歩み続けた、やはり岸田森氏演じる牧史郎(怪奇大作戦)も登場はしないのでした。
ひたすら恐ろしく不気味な本作のゴジラですが、作中で段階を経てビルほどに巨大に姿を変えていく中でも、おそらく眼球の大きさは最初の上陸時とそれほど変わらなかったんだと気付いた時、行き場のないエネルギーを抱えてただただ膨れ上がるしかなかった異形の怪物がどこか気の毒なようにも思えてきたのでした。

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15年後の世界

先日再放送された、2011年放映の番組「エル・ムンド 須藤元気がゆくアメリカ ルート1」を見ました。正味100分ほどの長さを飽きさせず、且つ、放映から5年を過ぎた今考えさせられる内容でもありました。
女性アナウンサーの声で“9.11から10年を経たアメリカを元格闘家の須藤さんが訪ねる”旨のナレーションが入るものの、夏休みスペシャルと冠された放映時のタイトルに相応しくどこまでも続く道、青空に映える鮮やかな黄色のコンパーチブルの須藤氏、BGMに「WORLD ORDER」がかかって・・・という決まり具合に事前に何の予備知識もない私はあらとってもお似合いですと割と呑気に見始めたのですが、最初の立ち寄り地点で質問を切り出す様子を見て「ああ、本当にそこにテーマを持っているんだ」とハッとさせられました。日本では東日本大震災のあったこの年、米軍によるビン・ラディン殺害という出来事もあったなどということはもうすっかり脳裏から抜け落ちておりました・・・
“ボストン茶会事件”の船を再現しようとする船大工のおじいさん、芸術の街で若い芸術家たちが集うアパートに目を輝かせたり、道すがらの小さなメリーゴーランドのあるレストランで童心に帰ったかと思えば、家族連れに“日本のツナミ”のことを気遣われたり・・・番組自体は好奇心旺盛に動き回る須藤氏が様々な立場の人たちと触れ合う様子を活写して進んでいくのですが、あの“グラウンド・ゼロ”でも氏は最初の海辺の街と同様の質問を人々に切り出していて、同時多発テロ以降の警戒心の高まりを憂う人も、ビン・ラディンの死が一番いいニュースだったと笑って答える人も、関心が薄まると危ないと難しい顔で答える人も、一様に“今後テロの危険は高まるだろう”という趣旨を答えていたのが印象的でした。
様々な出身国のムスリムの人たちが暮らす街の学校で、事件のあと米国で暮らすムスリムに降りかかった故なき困難に言葉を詰まらせたり、予期せず空手道場に誘われて全員と組むことになり戸惑いつつも気持ちを高めたり(終えた後が全編でも一番いい笑顔をしていらしたような)・・・やがてルート1の旅はかの国の中枢・ワシントンD.C.へと到達し、これが須藤氏の目を通した旅であることの必然性---アメリカで格闘家としての地位を築きつつあった9.11当時、愛国心と表裏一体に現れた、異邦人に対する強烈な敵意を完全アウェーの状況で浴びることになった体験の持ち主であること---も次第に掘り下げられていきます。前後編のボリュームでかなりあっちへこっちへと向く内容なのに散漫にならないのはこの部分が全編にわたり一貫しているためなのでしょう。
旅は更に南へ、南へ・・・後編も、道すがら本場のジャズを聴きたくなったり、自然農法を実践する牧場を訪ねたりと相変わらず気ままに楽しげな須藤氏なのですが(日本の今の感覚ですと、食の安全性を確保するにも細かな決まりは必要では・・・と思ってしまうのですが、そうした画一的な規制が小規模農家に与える打撃を嘆き食の安全の選択権に熱弁をふるう牧場主氏がユニークで、WORLD ORDERのメンバーにして不思議に淡々とサスティナブルな生き方を発信しておられる内山氏を(トーンは随分違いますが)ちょっと思い浮かべたりしました)、原発と長年共存を続けた南部の町で、無関心や諦めが大多数の市民の間にあってこれ以上の増設に反対を表明する牧師と交流するくだりでは、ミーティングの席で旅人が日本から来たことを知った女性に「私たちに何か言えることはある?」と逆に尋ねられておおいに戸惑いながらも自身の言葉を探したりします。
そして苦い試合の想い出の地でもあるマイアミに至る旅の終盤、クラブで出会った青年---中南米からの戦禍を逃れての移民であり、苦しい生活の中から努力を重ねて今や有名プロダンサーとして活躍する---にアメリカンドリームの体現を見る・・・
この終盤での出会いが、それまでのエピソードに比べると社会、政治的なスケールというより個人的な体験の合わせ鏡として描かれていて、なにかとても打ち解けて良い雰囲気の二人(?)に・・・しかもそれが9.11後のアメリカというテーマにおのずと還元されていく様子に見入りながらも、編集がいいのか、企画の勝利なのかなどとついうがった見方も頭をもたげるわが身をザンネンに思いつつ、これが9.11が流した血を特殊な形で体験し、それを消化し内面化する術も持っていた人物の、再び外の世界に問い直しに行くロードムービーでもあったことにおおいに納得せざるを得ないのでした。
若く脂ののった格闘家にショックを与えるほどの“集団から排除される恐怖”、万国旗を掲げるようになったファイターは大変聡く、ケージの外の戦いが力だけでは終わらないことを知っている・・・旅先で10年後の世界を自らの内面にアップデートしつつ、その視線は変容していくそれからの世界も見つめようとしていたのかもしれません。
番組から5年を経た現在、テロは減らないどころか個人によるテロという新たな姿のものまで現れ、世界もまた垣根をなくそうとする方向から一層逆行し、他者を締め出すことでしか自分を守れないのではという気分がそこここを覆い始めている・・・
画面の中の旅人はここからその先の世界への旅を始める・・・ルート1の終わりにして起点、1か月に及ぶ長旅の“終わりの始まり”に到達した須藤氏。「旅の終わりは寂しくはないんだ・・・」とつぶやきつつも、雨の中一人埠頭にたたずむ男性に「アメリカのドキュメンタリーを撮っているんだ!」と話しかける姿で番組は終わっていきます。

番組中では最初のEP「WORLD ORDER」から表題曲の他にもいくつかBGMに用いられていて、それらがあまりにピタッと来る場面・タイミングで入るのでなんと狙い撃ちなと思いつつつい感動してしまうのですが・・・「You're Beautiful」や「カントリーロード」を須藤氏が突然口ずさむ場面もあってよい声です。
先日の、サンフランシスコのJ-POP Summit 2016(公式やメディアのものが見当たらず、観覧なさった方々が公開しているものを見ているのですが)での「MACHINE CIVILIZATION」が、これまで聴いた幾つかのアレンジとも違うパシッと強い感じでこれもカッコ良い(鑑賞歴が浅いため既にあったものなのか知らないのですがCDやネット配信にはないですよね?)と思ったり、時計メーカーTISSOTの新しい宣伝映像、“チクタク音”つきで爽やかで愛らしい曲調(!)にアレンジされた「WORLD ORDER」に乗せての面々の演技もまた綺麗な店内を舞台にして仕掛け時計のようにメルヘンな・・・時計の中に棲んでもらって、是非こんな感じで時報をお知らせいただきたいですね・・・(赤面)などと思ったりしていますが・・・どちらの曲も音源に収録されてほしいものです。
テロリズムと“対テロ戦争”から先の世界、という話に戻りますと、より強大な威力で相手を打ちのめせば平和が訪れるのか、という問いには、「血を吐きながら続ける、哀しいマラソンですよ」という台詞があまりに有名な「超兵器R1号」(ウルトラセブン)が思い起こされますし、異なる存在への不理解が、平凡で善良なはずの市民をも時に狂気に駆り立てることを描く、映像の児童文学作品と言ってもよいであろう「怪獣使いと少年」(帰ってきたウルトラマン)、そして今日はあの「ノンマルトの使者」ですか・・・(いつの間にかBS放映の「あなたが選んだウルトラマン・シリーズ」の話題に・・・)既に40数年も前の番組ですが、その問いかけは今の世界にも刺さります。

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ジャーニー・オブ・ソーサラー

イーグルスの曲「ホテル・カリフォルニア」が好きですがアルバムとしては「呪われた夜」が好きです。そして「相棒」世界でとらえるとしたらアルバムタイトル曲「呪われた夜」が右京と小野田の複雑な関係として、「ジャーニー・オブ・ソーサラー」は米沢さんのテーマだと勝手に思っています・・・
鑑識・米沢守のいた「相棒」を記憶するものは幸いである、心豊かであろうから(何故バイストン・ウェル)・・・我々はその記憶をしるされてS14までも見守ったにもかかわらず、S15にレギュラー出演しない旨を発表されたから・・・それゆえにス・ギシタウキョウの語る次の物語を伝えよう(色々と混乱中です・・・)
更新滞りますと言った傍から書いていますが・・・S14最終話で心のどこかでは覚悟していたとはいえ、レギュラー出演ではなくなったということにショックがないわけでは勿論ないのですが、今はむしろ、「相棒」世界を支えつつ独自の世界観も内包していた米沢さんがどれほど物語に妙味を与えてくれたか、杉下右京という個性の強いキャラクターと歴代の相棒との間で、更には視聴者との間でどれほどバランサーになってくれたかに思いを馳せるばかりで、魅力ある「相棒」世界を担ってくださってこれまでありがとうございますという思いが優勢です。
そこには、シリーズ初期において右京さんとの落語好き仲間という設定を米沢さんに付与した櫻井氏脚本をはじめとする古参メインライターの方々の数々のエピソードを懐かしむ思いと(右京さんファン、幻の女房、音楽・小説・乗り鉄といった多趣味でアクティブなオタク気質・・・いずれもちょっとした小ネタなれど物語に転機を与えたり、捜査の裏付け過程が説明的になるのを回避させたりとおおいに存在感を発揮していて、薫卒業とともに卒業されてしまったらしい岩下女史にも、S4を最後に他界されてしまった砂本氏にも、相棒たちを支える米沢さんの妙味を活かしたエピソードがあったことを思い出します)、一方で脚本家の入れ替わりにも伴いそれらの設定が次第に形骸化され、展開上の都合で動かされる状態が散見されるようになってしまった近年の幾つかのエピソードについての残念さ、そんな気持ちの両方がないまぜに存在しますが・・・そして六角精児氏が飄々と淡々と、時に熱く、時にニヤリとさせるような存在感で演じてこその味のある造形であるのは疑いようがなく、寂しい思いと同時に新たな門出を祝したいような気持にもなってくる・・・
「ピルイーター」で参入後、「裏切者」「名探偵登場」等々のハードさとエンタテイメント性を兼ね備えた演出で相棒世界の一翼を担ってくださった故・長谷部安春監督が、その晩年のお仕事として「米沢守の事件簿」を撮ってくださったのも米沢ファンには有り難いことでした。ただただ感謝と思い出話になってしまいますが、レギュラーではなくなったというだけで、警察学校で教鞭をとることになった米沢さんは相棒世界に存在し続けている(こ、ここは強調したい)・・・「相棒」の一時代を支えてくださったことへの感謝と同時に、右京さんを支える奮闘ぶりとストーリーへの貢献度の高さを引き継ぐ次なる鑑識課キャラクターが現れるのか、それとも近年の変容にそって本編中でそうした描写自体が減っていくのか、今後の相棒世界の動向が気になるニュースでもありました。

話が全く変わりますが、スイスの時計ブランド「TISSOT」の国内旗艦店オープニングセレモニーに登場したWORLD ORDERのパフォーマンスに個人的に萌えポイントをつかまれております(同社がyoutubeに早速公開しているのを拝見しました)・・・冒頭、無音でスル~っと整然と闖入してくるところも、(お洒落な店舗入り口前の限られたスペースのため)これまであまり例のない寄り気味・高めのカメラアングルで「MACHINE CIVILIZATION」の美しく幾何学的なフォーメーションが立体的に観られるところも大変ヨイのですが、何が最たる萌えポイントかといって、総員が赤いカーペットの敷かれたスペースに入りきるか切らないかのタイミングで森澤ロボがパタッと倒れてしまい、プログラム通りのフォーメーションを組めない面々が、高「・・・」須・内「・・・?」落・富・上「「「ン?」」」」と言った表情で処理を停止してしまうところ(ヘンタイがニッチ過ぎて自分の萌えを巧く説明できません(頭を抱える))・・・「えっと・・・こういう時は・・・」という感じで森澤ロボと周囲の状況を矯めつ眇めつしている須藤ロボも、前列で動作途中の姿勢のまま停止している上西ロボも萌えです・・・勿論音楽が始まると同時に条件が分岐して、姿勢をリセットした森澤ロボを落合ロボが抱え起こしてパフォーマンスは予定通り始まります。背景に映りこんでいる、ニッコニコと相好を崩しながらパフォーマンスを見ている外国人男性にWORLD ORDERのMVみ(「2012」等)を感じていたら、後のテープカットのために待機していたこの企業の社長さんでした・・・
2011年放映番組の再放送「須藤元気がゆくアメリカ ルート1」も無事録画できたようなので、これから見ようと思います。

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作用世界

WORLD ORDERのMVの各シチュエーションで「ウルトラQ」や「怪奇大作戦」を見たいです(スミマセンただの寝言です)・・・コワい系でなく、「鳥を見た」や「京都買います」のような視覚的な不思議さと抒情性を兼ね備えた・・・(「霧の童話」や「24年目の復讐」のような作品も実はあのパントマイムと整然とした動きで描かれる世界と親和性が高いのではと内心思ったりしますが、シビアすぎて哀しくなってしまうでしょうか・・・)
雑然とした頭と気持ちのまま気が付けば6月も終わろうとしていますが、8月にあるWORLD ORDERのライブのチケットを発券してきましたよ・・・(赤面)会場が円形劇場とのことで、とれたのがいい席なのかそうでもないのか私にはよく解らないのですが(世田谷パブリックシアターより100人ほど収容数が多い劇場なのですね)、題して「WORLD ORDER WORKING WORLD」とは・・・は、はたらくせかい?現世?(汗)ともあれ楽しみです。
須藤氏がジャズピアノに挑戦、という動画を見て、WORLD ORDERの音楽性が広がることもあるのかなぁとつい期待しますが(これほど関心の幅が広くて精力的に活動される方でも、以前twitterにあげていらした短い動画でののびのびしたご様子に比べると協演は緊張なさることもあるのかどうか?!)、そういえば昨年末にEテレで放映された井上ひさし氏作の舞台「きらめく星座」(暇課長こと山西惇氏が主演の一人)の感想も書きかけてそのままなのでした。昭和15年の秋、浅草で小さなレコード店を営む一家と間借人たちをとらえた流行歌あり笑いありのドタバタ劇、の背景に密やかに、着実に描かれる、太平洋戦争前夜の足音・・・いずれ整理できたらと思います・・・
(暫く更新が滞ります、暑い季節となってまいりますがどうぞ皆様ご自愛ください。m(_ _)m)

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はなしはひとめぐり

WORLD ORDERのメンバーでプロデューサー、須藤元気氏の「レボリューション」(2007年刊、2012年に文庫化)を読みました。チェ・ゲバラの映画に触発された、恐らくは20代を終えるか終えないかの頃の氏の南米旅行記・・・
1960年代のカルチャーや理想主義に関心をもつという意気軒昂な著者が革命家の足跡を辿るとなればどんな冒険譚かと思いきや、長旅に付き合ってくれそうという理由で誘ったニートのイトウ君との道中は地に足の着いた文体ながら足取りも思考もあっちへこっちへ、各種トラブルに見舞われつつ逐一笑いをとらないと気が済まないかのような書きぶりは肩の凝らない読み物として読み進めることができます。その一方で、訪ねた南米の国々で思いをはせるのは、古代遺跡や地上絵の不思議、アジア人を殆ど見ない地域で体感する差別、そして軍のクーデターや冷戦期の大国の力関係を背景として多くの血が流れた歴史上の出来事の数々・・・私自身はキューバ危機の背景・・・?というくらいのぼんやりとした認識でしたので関心の枠を広げていただいた感じでした。
今その瞬間は平和にみえる日常にいつ出現してもおかしくない恐怖政治の闇、人間である以上いつでも歴史の暗部の当事者になりうることから目をそらさない思索的な部分がさりげなく織り込まれていて、珍道中パート同様にスルッと読んでしまいそうになるのを立ち止まったり振り返ったりしてもう一度読むと、触発された名著や思想の言葉を引用しつつ、押しつけがましくない語り口でご自身の思うところが述べられていて考えさせられます。
先達の影響を受けると同時に自らものちの革命家に影響を与え、社会を変えようと運動の先頭に立った者たちの辿った数奇な運命、求めた理想とは似ても似つかぬ結果としての現代。長い時間のスパンで見る世界とは、「ただ、様々なレベルの利害対立が、現れては消える繰り返しにすぎなかったのかもしれない」・・・
といって、革命家たちの理想への献身と情熱そのものに対する著者の素朴な敬意は止むことはなく、少々観念的な言い回しながら決して虚無的なニュアンスではないのが、WORLD ORDERの独特な詞の世界にも受け継がれているのだろうかと想像しましたが(この本が上梓されたのはWORLD ORDER立ち上げより前なので、全て後付けで見ている私にそう感じられるというだけなのですが)・・・トラブルでゲバラの墓参りは叶わずメキシコに向かうことになる旅の終盤、呪術師との不思議な邂逅として描かれる部分はかの地に対する氏の思い入れを考慮に入れないと若干唐突にも思えるものの、旅を通して気持ちを整理していく過程をあらわす上での文学的なアクロバティックさでもあるのかと思いました。
「信念体系が何であれ人間が食べて寝て起きるだけで二酸化炭素は排出される」という至って今日的な問題意識を布石として、そこに取り組む決意が現代の理想主義なのでは、と語りつつ、日常という戦いの舞台に再び戻っていく形で本書は終わっていきます。

それにしても、元格闘家の、ということであればほぼ間違いなく手に取る機会はなかったであろう本を、良い歌声で素敵な詞を書いて眼鏡を選ぶのがお上手ですねという関心で手に取る私も大概ミーハーだと思います(WORLD ORDER活動用と、それ以外で最も活用されているらしい黒縁と、落ち着いたメタルフレーム?の写真とをネットでお見かけしたことがありますがどれも大変お似合いで、いつもなんとなく同じタイプを選んでしまう眼鏡者の身としては羨ましい限りです)。イエ決して前者の肩書を疎んじているわけではなく、私がその世界を極端に知らなさすぎるうえに世間の話題にも疎いだけですので長年氏のファンでおられる方においては何卒ご容赦ください・・・どのくらい無知かというと、「あの不思議なパフォーマンス集団の先頭に立っている、筋肉の配分が明らかに他メンバーと違う感じの人は一体何者だろう?」とかなり長い間思っていたくらいです・・・(滝汗)実はこの本を購読する前に図書館で日記風エッセイ「神はテーブルクロス」(2007年)を読んだのですが(その直前にねこ関連のミニコミ誌?のようなものに寄稿されたごく短い文章を目にしていて、さらっとした内容ながらとてもきちんとした文面だったので同じく図書館にあった氏の書籍に興味をもったのでした)、冒頭に格闘家時代の挫折や再起について触れられているにもかかわらず本文の大半から受ける印象は仲間と遊ぶのも思索にふけるのも好きな文化系青年の青春日記といった趣で、終盤に再び引退についての話題が出るまでマッスルな経歴をお持ちの方であることを失念しかけていました。
そして書籍の感想としては甚だおかしいのですが、ドラマ「相棒」S14元日SPを見て不満を募らせていたはずが突如WORLD ORDERってステキ!となっていたのは恐らくこういう事だったのだろうと(<何度書いてもそこのところの飛躍は・・・(汗))とても「相棒」らしいテーマに挑んだはずのS14元日SPでしたがシナリオ段階まで引き上げられなかったのが問題だったのかはたまた演出が東映路線に走りすぎてしまったのか、視聴中から気が散ってしまった結果「スーツ姿ばかりのドラマで“新世界秩序”などといった日にはあのパフォーマンスグループを思い浮かべざるを得ない」→youtube公式チャンネル見る→そうそう、きっとこの「IMPERIALISM」のようなテーマを描こうとしたんでしょうねえ・・・→あれ、きちんと見るとパフォーマンスも素敵だしほかの曲もよいですね・・・→(正月休みにあかせて動画を見まくる)・・・という経緯でございました・・・
真実を諦めない杉下右京と、その宿敵にして影の相棒・小野田公顕を置くことによって浮き彫りにされたのが(右京の抱く理想に対する)“様々なレベルの利害対立が現れては消える”世界の感覚であったのではないかと思うのですが、特定のキャラクターの去就がテーマの描き方にもかかわってしまうかのように理由を探すのは早計であるにせよ、小野田亡き後の「相棒」からその感覚も希薄になったように感じてしまうのは一ファンとして残念なことでした・・・S14元日SPに欲しかったのは憎しみの連鎖の先を見つめる視点であり、それがないままマジョリティとマイノリティの仁義なき戦いを描くことに終始してしまう様子に“プロットそのまま出してきた感”を払拭しきれなかったのでした。
個人的に久々の快作であった「物理学者と猫」以外にS14の良かった探しをするとすれば亀山期の頃のテイストをある程度職人的に再現しようとした形跡があった気がする点で(右京-伊丹の描写や一部の演出など)、残念さを指摘するにも同じ点についてリメイク感を脱せなかったこと(主に物語面)、4代目相棒冠城氏のキャラ設定がいかにも設定に留まってしまったことがまず思い浮かぶのですが・・・S15も制作決定したとのことで、私自身が見るかどうかは別としてどうなっていくのかなと思っております。
それはそれとして、話が野放図にあちこちに行って申し訳ないのですが先日の「WORLD ORDERアート展」で展示されていた上西氏の動画がyoutubeに公開されているのを見て改めて綺麗だなぁと思っております(用いられている曲(WORLD ORDERではない)もitunesへのリンクがあったので購入してしまいました)。3名のダンサーを捉える四角く切り取られた構図でカメラが僅かに横にスライドするところや、重力を無視した上西氏の演技で画面の上下左右が一瞬解らなくなるかのような部分が何とも幻想的で、背景の雨音が女性Vo.とマッチした曲もあいまって静かな夜に眺めるのに良さそうな動画です。

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迷った人

WORLD ORDERの「ビジネス体操」を見て他愛なく笑ってしまうだけで体によさそうな気がします(飲料「リアルゴールドWORKS」のTVCMとともにyoutubeに公開されている動画。つまり「ビジネス(の休憩時)専用」?)そういえば「MIND SHIFT」の動きって肩こりに効きそうだなあ(ま・・・真似できないですけれども)などと思っていましたらよもやこういうものとは・・・ダイナミック退勤、芸術性の高過ぎるタクシー止め、消えて現れる得意先訪問withバラの花等々、いずれも澄んだ5月の空のように高い技術と海よりも深い意味不明さが光りますが(褒めています!)「悩む」からの流れに笑ってしまいつつも(私は「QUIET HAPPINESS」の連玉振り子状の動きが好きなのですが、ここでの“壁にぶつかる”と衝撃が増幅されていくかのような表現もまた・・・(笑))“そしてまた歩き出す”、そっと背中を励まされたような気持になって有り難いことです。迷いの多い人間です・・・
そして、迷った末に「WORLD ORDER アート展2016」にも行ってまいりました・・・迷ったのは物理的に、つまり神保町駅から文房堂までの道と(これはGooglemapという文明の利器がどうにかしてくれました(汗))、明らかにコアなファンの方向けのスペースに、超初心者、それも著しく度を越したあがり症の私が立ち入れるものなのか・・・という精神的な問題でしたが、何とかなりました・・・具体的には、エレベーターが開いたら即展示、という状況を理解できずフリーズしている存在感の薄い客(私です・・・)にもすかさずチラシを渡してくださった支配人役(?)の富田さんと、一通り見て戻ってきたとき小心な私に気さくに声をかけてくださったコアなファンの方がいたということです(滝汗)ここをご覧になっているはずもありませんが有難うございます。m(_ _)m
作品については(入り口突き当りから反時計回りに)・・・須藤さんの書は、ご本人のもう一つの経歴と合致した力強い筆運びの作品の一方で、几帳面な印象の「延命十句観音経」やどこか不思議な「両義性」に個人的に目を引かれました(WORLD ORDERの詞の世界も両義性を見つめようとするかのようなところに関心をひかれます)。落合さんの写真は郷愁を誘う、詩情溢れる印象で、どんな風に撮影場所や時刻を選んでおられるのかなと思いました(一緒に展示されていた昨年の作品を立ち読みしましたが添えられている散文も素敵です)。内山さんのイラストはご本人の関心事をご本人の手で写し取られている、素朴にして満ち足りた感じ、もしもこんな絵手紙を貰ったら相手は描き手の今日この頃に楽しく思いをはせることでしょう。
森澤さんは・・・料理、という情報をネットで何となくは事前知識として得ていたのですが、国際色豊かに作って、フードコーディネーターもかくやという盛り付け、お洒落料理本のようにレシピまでついていたので驚きました。高橋さんのイラストは緻密な、魔訶不思議な・・・そういえば私は教科書の端にパラパラマンガを描くのが好きな子どもだったと急に思い出しましたが(汗)、一枚の紙に連続して描かれた小さな小さなキャラクターはもしや手描きアニメーション的な・・・?
上西さんは映像2本立て・・・ちょっとアンニュイで都会的な音楽と夜景を背景にした環境ビデオのような演技編(これもストリートダンスの一種なのでしょうがしなやかに動きピタリと姿勢保持する様子はバレエダンサーのようにも感じます)と、その動きを可能にするトレーニング編?をループで流していたのですが、たまたま後者が流れ始めたタイミングで見始めて感心しきりだった近くにいた男性が、前者を見ずに立ち去ってしまったのでああっ?!;となりました(前者、後者と続けて見ていた周囲の人が移動したのにつられてこれで終わりと思ってしまった?)。土曜日だったためか、コアな方は勿論のこと、WORLD ORDERは知っている、という(私と同じくらいの)予備知識の方も割と見えていたのかもしれません。

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秩序と混沌と6平米の領域から(2)

年明けから突然聞き始めたWORLD ORDERの、3rdアルバム「HAVE A NICE DAY」の特典の、2014Zeppツアーを収めたDVDをみた感想の・・・前回(1)からの続きです。

・「LAST DANCE」
風に舞う木の葉や交差点の光に心震わすほど繊細な心にも、ゲーム音楽のようにキャッチーにも、また個を超えた重い内容にも聴こえる・・・注意を向ける角度で印象が変化する歌ですが、風景と詞が相補的なMVに対して、ライブパフォーマンスの背景に投影されるのは白黒と直線構成だけで塗り分けられたCGで、垂直方向に黙々と降り続ける四角柱はゲームの画面のようにも、また現実世界のある構造物を例えているようにも見えてきます。リスクとのぎりぎりの相殺で動いているはずのそれを、我々はいつから安全にコントロールし続けられるものと考えてしまったのか?
7名で形づくる“波”はその描写力にいつも見入ってしまうのですが(2種の動きのうち1つをとらえるカメラが正面からでないのが「?」なのですが通常と違う角度から見られるのもライブDVDの特典?)、曲が終盤に向かうにつれ背景のCGにも変化が起こり、それは相変わらずシンプルな線画によるひどく抽象的な表現にも拘らず、あの日構造物の中で何が起きたのかを連想せざるを得ずゾッとさせる・・・困難さと可能性を畳みかけつつ決然と前を向く彼らの姿で敢えてラストをバンと切るMVに対して、ここでは曲が終わってもハウリングのように一層高く響き続ける最後の音が、未来への警鐘にも聴こえてくるようです。
(東日本大震災との関連を考えずにいられないこの曲について、収録曲順に沿って感想を書きかけていた矢先の九州地方の大地震でした。被災地の皆様にお見舞い申し上げますとともに、一刻も早い災害の収束と日常の回復をお祈り申し上げます。)

・「WORLD ORDER」
ピアノとギター、シンセ音が印象的な80年代ロック風の前向きさ、独特のユーモアや応援団のような力強い動きも入った原曲とパフォーマンスから、オーケストラが主となりがらりとイメージを変えた(歌の諧調は変えていない気がするのですがサビ部分だけ少しずらしている?声も重ねているように聞こえる)ここでのアレンジには、原曲とは異なった迫力とともに戦うものの孤高すら漂います。元々の天衣無縫なイメージでつい流して聴いてしまいがちですが、確かに歌詞に注意を向ければ矛盾に満ちた現実と自己を見つめつつ出来るだけ善くありたいと歌っているのでした・・・
MVではおなじみの、彼らを目にした街の人々のリアクションも含めての風景はここにはなく、広がる暗闇の中に僅かに存在を許された白い領域でいつもの規則正しい動きをする彼らの姿は、得体のしれない巨大な“世界秩序”の渦中でなお、徒手空拳であることを知りながら立ち向かおうとする存在のようにも見えてきます。

・LIKE A MACHINE ~「MACHINE CIVILIZATION」
どの曲のパフォーマンスも抽象的で暗示的ですが、ライブの最後を締めくくるこの部分は、“人間を精巧に模したロボット(を模写した演技をする人間たち)”としてのWORLD ORDERに興味をひかれた私としてはつい過剰に、かなり過剰に思い入れてしまいます・・・ので、ここまでの感想に更に輪をかけて勝手な物語的解釈であるのを大目に見ていただきたいのですが・・・
“機械文明”の中で生きる主人公の人間的な願いを軽快な打ち込み音と柔らかな歌声、テクノポップな楽曲で聴かせる原曲「MACHINE CIVILIZATION」に対し、機械文明それ自体を前面に据えるライブでのパフォーマンスは、“人間と機械のあいだ”というSFでは繰り返し描かれたであろう題材とシリアスにアレンジされた楽曲も相まって、普遍的な苦悩を捉えた切ない短編作品を観てしまったような気持ちになります。

ピアノ中心のインストゥルメンタルを背景に、彼らはそれぞれ歩き始めます・・・限られた白い領域の中で、一定距離進んでは直角に方向転換し、立ち止まったと思えばまた直進し・・・リズムを崩さず動き回る、恐らくはそれぞれの機能に相応しい個性とプロポーションをもつ、この美しい7体はロボットなのでしょうか?決して広くはない正方形の中できびきびと動いても衝突せず視線を合わせることすらない、その様子は統制のとれた回路、一つのシステムのようにも見えます。
と、よどみなさが突然破られます。あろうことか、“落合ロボ”が足を滑らせたのです・・・思えば、この曲に至るまでのある部分でも彼は周波数のズレに一人悩んでいたのではなかったか?(「FIND THE LIGHT」等のロボット的なパフォーマンスを含む曲の一部でそういう演技がある。勿論そこでは“あれ?テンポが合わなくなっちゃったよ~?”と困惑する愛嬌あるロボット動作で見せるのでよもやそれが伏線だとは思えないのですが・・・)
暫く突っ伏していた落合ロボですが、やがて健気にも立ち上がり何事もなかったように動き始めます。他の6体は些細な異変に一瞥もくれることはありませんし、システムにも齟齬はきたしていないようです・・・と思った矢先に今度は奥で2体が倒れます。内山ロボと上西ロボでしょうか・・・あっ、と思った瞬間、気が付けば手前では、あの力強かった高橋ロボが何かに苦しみもがくように虚空に腕を振り上げています・・・倒れた2体が再び立ち上がる間にも中央では、スタミナではおよそ他の比ではないであろうはずの須藤ロボが眠るようにゆっくりと動きを止め、傍らでは突然電源の切れた森澤ロボが道連れのように倒れています・・・何が起きている?
自分の進路を塞いで倒れた富田ロボに上西ロボが驚いて手を差し伸べようとしますが、別の制御がかかったようにその動きはぎくしゃくと緩慢になり、次の一歩は“避けて進む”動作に修正されてしまいます。背後では、再び変調をきたしたのか、助けを求めて仲間を呼び止めようとする落合ロボの動きはまるで彼だけがコマ送り映像であるかのように不自然です・・・アルゴリズムを書き換えてまで仲間を助け起こそうとした内山ロボのほうが倒れてしまい、倒れていた富田ロボは再び何事もなかったように動き出します。おかしい、エンジニアはどこへ行ってしまったのでしょう?彼らがこれほど故障信号を出し続けているのに・・・
そもそも白い四角い領域の外には、彼らが“造物主”と信じたであろう、メンテナンスによる安寧とプロセスの終着地を与えてくれるエンジニアなどもういないのかもしれません。完全自律型の彼らは進化しすぎてしまったから・・・あまりに複雑でブラックボックスの多い、いつか誰かが“人間”と呼んだ不安定な存在のように・・・
やがて星降る夜が、そして暗闇が訪れます。ロボットたちは寝床に帰らないのでしょうか?セーフモードでもあるのかのように、倒れこんだときの姿から、両手を身体にぴたりと揃えた仰向けの姿勢にかわり横たわっている3体。
冷たい3つの灯りの下で、仲間たちが近づき、全ての関節がロックされたままの内山ロボ、森澤ロボを厳かに立ち上がらせます。“再起動”された彼らは果たして倒れるまでの間の記憶を保持した彼らなのか、それとも不具合修正のうえ“リセット”された彼らなのか?
ろくな休息も挟むことなく、ロボットたちはネクタイを締めなおし夜勤の部に向かおうとします・・・いや待って、須藤ロボが横たわったままです。仲間たちは至近距離を通り過ぎつつもまるで彼が目に入らないかのようです・・・誰か、誰か気付いて、すぐそこにいる!
マイナー調にアレンジされた「MACHINE CIVILIZATION」が流れ始め、ついに≪その時≫が訪れたことが観客に告げられます。6体のセンサーは目の前に横たわる者を認識し、頭脳は今なすべき行動を判断し、腕に、脚に指令を出します。彼らの全てによって---その物質的な身体に触れていない者もまた彼を助け起こす仲間の動作に同期しながら---須藤ロボは抱え起こされます。
2体の間で慎重に、一定のリズムでゆっくりと揺り動かされる姿は、MVの冒頭でみせる動き(「眠いけれど起きなきゃ」という表現でもあるかのような)と同じであるもののここではまるで人工呼吸か心臓マッサージのような意味を帯びているようにも見えます。かくして歌い手/語り部である須藤ロボには再び生気が宿り、あらかじめ約束されていたかのように、彼らは自らがなすべき仕事の持ち場についていきます。
MVには存在しない、観客に対して正対面に展開されるフォーメーションは工場のラインの説明のようでもあり、ある文明の叙事詩を描いた壁画のようでもあり・・・その後に出現する、MVではどこかほのぼのと描かれる仲良く一列に並ぶ挙動やお辞儀をする姿も、ここでは行進曲風のスネアドラムを背景に、力強さとともに悲壮なまでの決意を感じさせる表現となっています。
“決意”?おかしな話です、彼らはロボットのはずですが・・・そこには間違いなくある種の感情移入が発生しています。例え“造物主”がいなくなっても、彼らを載せた白い四角い領域が彼らの生まれた文明を遠く離れても、何者かと問われた途端彼らは故郷の礼儀に則った挨拶をし、自らの取り扱い説明を始めるでしょう。自分たちはこのように正確に力強く動きます、自己完結型の完全メンテナンスフリーです。“人は働き鳥歌う”星から来ました・・・或いは誰に問われなくとも、幾度となく繰り返したであろうデモンストレーションは彼らの根幹たるAIが自らが何者なのかを問う過程でもあったかもしれません。恐らくは“造物主”が彼らの前から去って既に長い月日が経っているのでしょう。
彼らは何を生み出そうとしているのでしょう?一つ一つの工程を慎重に、二度とやり直しがきかない何かを、必ず次に引き渡さなければならない使命を帯びていると思われるほどの真剣さで・・・
曲がマイナー調になればシリアスな雰囲気になるのは当然ともいわれそうですが、彼らの機械語も、身振り手振りに変換されるアウトプットの意味も私には何一つ理解できないのに、ただひたすらに何かを伝えようとしている存在であることだけが解る、そのことに何故か涙が出そうになります。

彼らは“動かされている”のか、“動いている”のか?ロボットであれば当然前者だと人間は言い表すでしょう。今では用途すら解らないものの、かつて彼らの造物主たる文明が何らかの目的で作った機械なのだろうと・・・
では人間は?一日のうち、或いは一生のうち、自分が自分自身のすべてのコントロール権をもち、自らの意思で動いているという確固たる意識をもつときが人間に一体どれほどあるというのか?強いて言えばそのような考えをもつこと自体がそうした意識である、という事なのかもしれませんが・・・
“世界はどこへ行くのか?誰か教えてくれませんか?この想いは幻なのか?僕らは一つなのか?”
"Are these thought illusion? Are these thought illusion?" 繰り返される言葉は、幾度でも何種類でもサブルーチンを実行し続けた、それらを司るメインプログラムこそが、ほかの誰でもない“自分自身”であることに目覚めた彼らが、ついにあげた心からの声であったのかもしれません。


感想は以上です。あぁ、気が済んだ・・・(巧くは書けませんでしたが・・・)
うっかり駄文にお付き合いいただいてしまった方におかれましては大変お疲れ様でございました・・・そして何となく、合間にジェネシス「インビシブル・タッチ」を懐かしく聴いたりしていました。WORLD ORDERものすごく短いプログレ説をまだあきらめていない?(そんな勝手な説を打ち立てなくてよいです・・・(汗))
このかた、NHKFMのラジオドラマ「白狐魔記」も聴いたりしていたのですが(何故って?今井朋彦さんがお出になったからですよ!(脂汗))、そろそろ録音準備しようと思った頃に全く違うニュースが流れており、それがあの地震の日でした。折しも今回は天草が舞台のシリーズだったのでえっ?となり(放送自体は翌日2話分まとめてされました)、夜が明けてニュースをみれば大変な事態でしたので驚きました。
1週間が過ぎ、かの地の方々の緊張や疲れも高まっていることと思います、少しでも安心して休息できる時間と場所が先ずは増えていくようにと願うばかりです。

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秩序と混沌と6平米の領域から(1)

年明けから突然聞き始めたWORLD ORDERの、3rdアルバム「HAVE A NICE DAY」の特典の、2014Zeppツアーを収めたDVDをみたのです・・・ロボットのように規則正しい行動と物理法則を意思持つものとして再現するかのような動きで現実の風景に異空間を持ち込む彼ら、ライブではロケという現実空間側の装置がない分、曲+身体表現+削ぎ落した舞台装置のみで勝負する・・・MVでは遠景にとらえられていたテーマがよりストレートに表されていたり、はたまた“音と踊り”という私には縁遠かった表現にポカンと見入ったり、(前回少し触れたオフショット部分も含めて)1時間半に及ぶボリュームにも拘らず気が付いたら一気に視聴していました。
ということでライブパフォーマンス部分に・・・全曲触れたくなるものの、初心者の私には流石に何から手を付けたらいいのかわからないので、原曲、MVとの違いで驚いたものを取り上げてみようと思います。

・「CHANGE YOUR LIFE」~Solitude
私に知識・語彙がないためにこれまであまりダンスユニットとしての側面に触れていませんが、メンバーのソロ演技部分も含めてハッとしたことを書かざるを得ない・・・MVでは仲間を勇気づける少年マンガ的ストーリー(舞台がホストクラブで目標がラーメンですが(汗))の体裁をもつこの曲ですが、ここでの表現は完全に大人向けです・・・変な意味ではなく;、内面世界のことだとストレートに切り出していて、曲のテーマである“自我意識”すら一筋縄でいくものでも一枚岩でもない・・・
短い“演劇”の始まりを、不思議な手の演技で告げる内山氏はこの曲の象徴的な人なのでしょうか・・・舞台の床を更に四角く区切る6、7平米ほどの(もう少し広い?)白い領域が意識化できる内面の範囲だとすると、その上でやっとメンバーの存在が識別できる程に照明が落とされた中、少し離れた場所から注意深くそこを見る一人の男(須藤氏)がいる・・・原曲のあえての煽り立てるような高い音より重低音が前に出て、残響音もあって一層大人びたムードです。
6名は時に2人組になり、3人組になり、一挙一投足にうるさい頭脳の指示通りには身体は動こうとせず、イド・エゴ・超自我は連動しているようでいて隙あらば自らを主張し、引っ張り合う腕一本で体勢を保つ様子は、どちらかが手を離せばあっという間に倒れてしまう精神の均衡、という事でもあるかもしれません。観察していたはずの歌い手もいつの間にか混沌の中にあり、自分と違う魅力を持つ他者を強烈に意識したり、時には他人と自分の価値観が知らぬ間にすり替わったり・・・一体、自我意識とはどこに足場を見出せばいいものなのか?
“踊るありかたはきみのあり方”と歌うように、結局、“ありかた”にしか自我の在り処はないのかもしれない・・・曲の区切りとともに混沌から一転、脈打つようなリズムと堂々たる姿でメンバーが光の中に姿を現し、ここから須藤氏を除き順次ソロ演技に入っていきます。MVでみられる整然たるロボット・アニメーション・ダンスとはまた異なった、ガシガシ動くダンサーとしての彼らにあっけにとられてしまいます。
口火を切るのは“アキさん”こと高橋氏。渋い風貌も相まってかロボット、というより古風な意味での“人造人間”風の演技を交えつつ独特の表情と動きの力強いこと・・・公式ブログでのホワ~とメルヘンな語り口や、オフショットでのニコニコと目尻にしわ寄せ穏やかな様子と同一人物に思えなくなります(タイのJAPAN EXPO映像でもカンニングペーパー?を読みながら現地の言葉で挨拶する様子が温かい笑いを誘っていましたが、そこでの「MULTIPOLARITY」がとても迫力があり精悍に見えるのでした・・・)
その高橋氏の指さし確認とともに現れるのが“ジョニー”さんこと上西氏、細面でナイーブそうな表情に強靭さとしなやかさを備えた運動性、舞台裏やアルバム「2012」のメイキングでも静かな状態から突然ブワーッと動き出す印象があったのですが、勿論ここでも激しいリズムに合わせそれはもうしなやかに且つガンガン動きまくります(スミマセン形容する語彙がないです・・・)近年は地球の重力を無視する方向(?!)に行かれているようですが、何がそこまで氏の心をとらえたのか、表現と筋力は紙一重なのか・・・
そこにやってくるのが落合氏、オールバックの似合うきりっとした目鼻立ちで、スーツ姿で須藤氏の隣に立つ写真などを見るとどうもこう・・・若頭的な何かを思い浮かべかねなかったのですが(か、重ね重ねスミマセン・・・)表情豊かなダンスはむしろちょっととぼけたユーモアとチャーミングさが隠し味のようで、お仲間やファンの方々に“まーくん(さん)”と呼ばれるのも納得かもしれない・・・このステージでも高橋氏、上西氏とからんでの「マトリックス」風の演技(?)のあと、続いて登場する内山氏へとコミカルにつなげます。
“うっちー”さんこと内山氏は、個性的な風貌と細身の長身に加え、あの“手”の演技・・・宇宙と交信しているに違いないと思っていたのですが、スチール等でお馴染みのあのスペシウム光線的ポーズも“タット”というダンス技法のひとつなのだそう・・・確かに民族舞踊も指先の表情で表現するそうですし、ということはかのプリズ魔回でサイケデリックな前衛ダンスを見せた帰ってきたウルトラマンのそれも実は(自分だけの文脈で話すのはやめなさい)・・・等と思っているうちにリズム主体だった曲調が華麗に変化し、内山氏とはまた趣の異なる“タット”を見せながら“ゆうすけ”さんこと森澤氏が登場します。
ルックスも語り口もシュッとした爽やかビジネスマンそのものの森澤氏(「BLUE BOUNDARY」でのパントマイムも目を引きます)、とはいえ(他メンバーに比べれば)小柄な体から素早く手刀を繰り出す踊りの様子は、内山氏の星と言語の源は分かち合いながらも戦闘民族へと進化した星の出身者に違いありません(だからその文脈から離れなさい)・・・緊張の遭遇ですわ紛争勃発かと思いきや、相通ずるものがあったのかやがて一緒に踊りだします・・・いかなるやりとりがあったのか地球人である私には一切窺い知れず、はっきりしているのは彼らが幾何学模様至上文明だということのみです・・・
などとあらぬ方角に妄想しているうちに、最後の登場人物“とみぞう”さんこと富田氏がやってきました・・・いかにも日本人的な風貌が(あの昭和メガネと口髭でそう見えるのでしょうが^^;)日本人離れしたような均整の取れた体にのっているのがエキゾティックで、長い手足を大きく使って踊る様子は若い人に人気のオシャレアクションマンガか何かに出てきそうだなぁと思ったりもします・・・再び戻ってきた高橋氏と相対し、粗削りな若さvs経験豊富な渋さで競う野生の鳥の威嚇合戦のような様相に。
やがて須藤氏も含め全員が戻ってきて、自分の身体と表現力をフル活用する男たちで場は大変な有様です・・・各々没入して踊っている分にはよいですが、こんな生々しい高揚感に満ちた自己を至近距離に集めておいたら・・・そら危ない、誰かが手刀を放った!(よく見れば内山氏でそれもビックリ)・・・観てはいけない儀式を覗き見てしまったような、曲の終わりとともにいつもの整然と行儀のよい彼らに戻るのを見てホッと胸をなでおろすような、どきりとしてしまうパフォーマンスです。

・「MIND SHIFT」~「AQUARIUS」
大好きな「MIND SHIFT」、曲やパフォーマンスは少しアレンジされているものの基本的には同じなのですが、内面の千手観音を感じ取ってしまった(須藤氏扮する)主人公が、心の奥に巻き込まれて酷く苦しむクライマックスからの解釈が少し違います・・・MVでは“自分がばらばらになる”ような危機を現実的な和尚さんに救われるのですが(これはこれでとても好きなのです・笑)、ここでは・・・人格の主体であるはずの主人公までもが舞台を去ってしまいます・・・後に残るのは?
踊り続けるそれは忘我であり美しいのですが、いけない、心の奥底をそんな風に無防備に大気中に置いておいたらいけない・・・と観客ながら心配になるところで辺りは一気に“水”で満たされ、仲間たちも戻り、柔らかく包み込む世界から再び力強く外界へと向かう「AQUARIUS」へと繋がっていきます。

・「2012」
ものすごく明るい世界滅亡もの(汗)と気付いて以来好きな「2012」ですが、神秘性の中にポップな楽しさもある原曲・MVに対しシンフォニックにアレンジされたライブでは、イントロ部で背景に投影される象徴的な“地球文明”も含めちょっとした映像作品のOPかEDのようでもあります・・・7人の地球人に姿を変えて降り立ったオーバーロードは大変フレンドリーで、宇宙の時間からすれば一瞬にすぎない文明の繁栄が、星の寿命を悪戯に削ってしまわないよう恐らくとても寛大に見守ってくれているのでしょう・・・これも終わり方の演出がちょっとひねってあります。

(ま・・・また際限なく長くなるので今回はこのくらいで・・・(2)に続きます・・・たぶん・・・)

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旅する闖入者

WORLD ORDER「2012」に続き、2014年のアルバム「HAVE A NICE DAY」を聴いたのです・・・父ブッシュの演説を風刺的に素材に用いて、ゴリッとした音色で挑戦的な雰囲気の「IMPERIALISM」に始まり、華麗ながらもどこかひりひりとした切迫感のある「INFORMAL EMPIRE」で(既存曲リミックスを除けば)終わっていくこのアルバムが、日曜日に片思いの切なさを残す爽やかロック風味の「HAVE A NICE DAY」をタイトルに冠する不思議さよ・・・既存曲のリミックスは「MACHINE CIVILIZATION -Inner Child Remix-」の歌の合間にラップ?!が入っていておよっとなるのですが原曲の軽快な側面を拡大している感じでこれも楽しいです。
耳に残る切ない曲調と平易な言葉を選びながら、繊細な歌に強いメッセージ性が込められた「LAST DANCE」や、切れのよさとうねり感のある楽曲に旅情を誘う幻想的な詞のついた「THIS IS LIFE」(公式のMVは短縮版でフルコーラスはタイアップ先であるJATAの映像で聴けるのですが、直近の旅の精霊(座敷童?!)ver.も面白かったです)と、アルバム本体+DVDはyoutubeで繰り返し見たMVの良さを確認できるような面もあるのですが(それは私が後発視聴者だからで、youtubeへの公開のほうがリリースより後なのでしょうか?)、「2012」からあまり期間を置かずに3枚目を聴いたにわかリスナーのナマイキすぎる言説としては、アルバムとして“余白がない”感じでそのことに若干驚いたというのか・・・それは“Truth is only perception”と歌う「INFORMAL EMPIRE」MVを何度見てもはっきりとは掴みがたい謎めいた印象(「IMPERIALISM」と対で考えると湾岸戦争開始時の米英についてのようでもあるし、或いは全く関係なく世界に対する普遍的なイメージなのかもしれません)---道を別ってしまいそうな同志に迷わないでと必死に呼びかけているような、と同時に勝てば官軍だと自分自身に言い聞かせているような、それはもしかすると“you”と“I”が実際には逆かもしれず或いは一個の人格の中の葛藤なのかもしれませんし、MVで描かれる映像で言えば歴史的な街並みを背景にした“WORLD ORDERの楽しい英国出張”的な側面と、時折差し挟まれる陰惨な戦争のイメージとのせめぎ合いと無関係ではないようにも思える・・・
そんな難解さを抱えたまま、日本語が消えて英語のサビのフレーズのみになり、やがて曲のみになっていくラストには、(背景は変わるがカメラアングルや彼らのフォーメーションは固定で)1分近くかけて一連の演技をみせる部分があり、観客を一定時間緊張感をもって画面にひきつけるというのはそれ自体で何か得体のしれない力を持つなあと感じた次第でした。

そして初回特典という、2014年Zeppツアーの模様を収録したDVDもかなりのボリュームで驚きました。各地の公演の模様を、その地に降り立ったメンバーの表情を幕間に入れて・・・という構成で、ナイスガイたちの表情に接近した“WORLD ORDERの修学旅行”的な・・・具体的にはタコ焼き、雪道の出来事、しゃちほこ、甲冑を売る仕事を振り返る(・・・?)等々なのですが、個人的には冒頭の東京公演を控える舞台裏で須藤氏の背中側からケーブルが伸びている様子にピット内だからですねとメカメカしい萌えを感じたり(インカムを収納しきっていないだけです・・・)、最終公演でファンから送られた花の前で音楽に合わせて動き始めた上西氏に森澤氏が途中から加わり、「MIND SHIFT」をひとしきり再現したのち脱兎のごとく同時に走り去る様子にも楽しい群ロボット的な萌えを感じたりもしましたのでファンサービスとしても全方位的なようです(意味不明)そして公演の内容も各曲はCD、MVとはまた少し異なった雰囲気でパフォーマンスも圧巻の・・・(今日はひとまずこのくらいで・・・また後日内容にも触れる・・・つもりです(汗))

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