鴉の子守唄【相棒劇場版IVを観て】

相棒劇場版IV「首都クライシス 人質は50万人!特命係最後の決断」を観ました。犯罪組織“バーズ”を追う国連犯罪情報事務局の元理事、マーク・リュウの来日をエスコートすることになった特命係と、7年前に拉致され、成長した姿で日本政府との取引の材料として再び人々の前に示されることになった在英大使館参事の令嬢・鷺沢瑛里佳。そして予告される無差別大規模テロ・・・
豪奢なお茶会が悪夢に変わるゴシックな回想場面から一転、無国籍ノワール風な冒頭、商業施設での毒物混入パニック、そして7年前の大使館での惨劇を生き延びた瑛里佳をめぐる謎と、日本政府に対する何者かの怨念・・・橋本一監督による陰影の濃い耽美な映像、出来事を逆算していくお話の展開はTVシリーズでも神戸期以降の参入で人気の高い太田愛女史脚本回らしさが出ていたように感じました。ですので、「こんな方にオススメ!」という書き方をするなら、太田女史担当回のファンの方はまず安心して観に行かれるのが吉かと(<公開2週間経ってから観た私が太田女史回ファンの方に言うようなことでは・・・;)
そこで敢えて、太田女史担当回をそれほど支持していない者(スミマセン、回によっては好きなものもあるのですが!)の視点で感想を述べますと、やはりこれも良くも悪くも太田女史回というか、ある段階までは個々のパーツが「それでなくてもよい」感というか、これはTVスペシャル回サイズかなぁ、テーマやお話の骨子も劇場版1作目(戸田山氏脚本)やTVシリーズS1最終話(輿水氏脚本)の構造をリメイクした感がなきにしもあらず(同シリーズ内の過去作品にインスパイアされること自体は個人的に悪い印象は別段持っていません)・・・と思ってしまう側面がありました。
が、その“ある段階”、真の首謀者が誰なのか、動機が何なのかが明らかになってくる≪着眼点≫は“おっ?”と思わせるもので、特段太田女史回ファンでない目で見ても(そこにもっていくまでの組み立て、およびその後の結論の付け方に少なからず「・・・ン?」な構造がありはするのですが^^;)この題材を持ってきたことは、これまでも同様のテーマを繰り返し扱ってきた「相棒」に改めて現代的な視点を導入したものと思えるもので、後に色々と考えるきっかけを貰えました(この点はネタバレに抵触しそうなので後述します)。

一方、相棒なら2時間枠TVスペシャルもあるわけで、では映画としては?というと、DVD等ソフト化以降の感じなんだろうな~というところも所々ありつつ、北九州フィルムコミッション全面協力!な部分に個人的には目を惹かれました(パンフレットにロケ地マップがあるのですが、これはご当地の相棒ファンの方はもうさぞご自慢のことかと・・・)。北村一輝氏扮する“黒衣の男”を追う特命係のデパート内でのアクションシーンは、意外と追いかけシーンのある「相棒」でもこれまでに見ない感じでしたし、旧松本邸や上野海運ビルもごく短いシーンながら印象的でした。パレードのシーンは、スケールとしては劇場版1作目のマラソンより小ぶりなのですが、都市部のある閉じた通りで群衆がそれと意識しないまま事件が・・・というのは伊丹ン映画「X DAY」終盤にもあって、あれが櫻井武晴氏のシナリオのまま撮られていたなら!と思っていた勢としては(完成品では“お札バラマキ”で代替されるパニック部分。そちらも良さはありますし、シナリオでは相当大変なことになるので予算的にムリかとは理解するのですが)、今回の“銀座に見立てた”小文字通りのシーンはちょっとウラヤマシイ(?)というか、同じ橋本監督作品だけにあら巧い具合にやりましたね・・・という感じでした。
ゲスト俳優さんはこれも「相棒」の毎度のことながら安心して観られる方ばかりで、人の好いイメージから一転、ギラギラした野心を抑えた物腰に隠す警備局長として登場する菅原大吉氏は勿論のこと、北村氏はあのルックスのままの劇画調のカッコよさから人間的な肩の力の抜けた演技もなさるところで相棒の世界観に合いそうと思っていましたし、銀髪の紳士・リュウに扮した鹿賀丈史氏、長い黒髪の似合う美少女・瑛里佳に扮した山口まゆさんも印象的でした。個人的に一番驚いたのは江守徹さんでしたが・・・(物語のキーとなる人物ではあるのですが、暗い画面で電話で話す等の非常に短いカットだけなので咄嗟に判らず、うわっこの喋り方はホントに影の権力者的な人では?!いやいやこの声は覚えがあるし、ホラ、えーと・・・と思った末にエンドテロップで「ああ!」となりました・・・)
「相棒」のシリーズ継続ファン向けの見所としては、神戸君は再登場というくくりに思えないほどに彼らしく特命係をサポートしますし、よ、よね・・・米沢守という不可解な存在(本人評)は、もっと活躍なさってもいいんですよ?むしろなさるべきでは?!なさるに違いない!!!と思いましたら当該のシーンのみでございましたね(す、スミマセンそこは米沢ファンの単なる要望です・・・)監察官殿は・・・う、うん・・・(太田女史は神戸君とセット以外で彼を扱う気がない?!^^;)パレード部分には是非、警視庁一のスナイパー・日野警部補にもお出ましいただきたかったなァ・・・
総じて、太田女史脚本「相棒」ファンの方にはおおむね心配なくお勧め、そうでない方も、「相棒」がある程度お好きなことを前提として、ゲスト俳優さんが好き!とか、北九州フィルムコミッションの仕事を見たい!といったことであれば、何かしら見所があるのでは、という感想を持ちました。

----以下、若干ネタバレにかかる恐れがあります(トップからのアクセスで以下を読まれる方は「>>続きを読む」へどうぞ)-------

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人は忘れる生き物だから

今日は「相棒」劇場版1作目の放映ですか・・・(<※訂正:す、スミマセン間違えました、来週12日の日曜ですね・・・)「絶体絶命!42.195km東京ビッグシティマラソン」と若干土ワイ的な長いタイトルなものの(汗)相棒映画はこれが一番好きです。紛争地域への支援の難しさ、国内の不理解、大衆の無責任・・・テーマであったであろうものを文字で書くといかにも壮大で社会派なのですが、きちんと個の感情に返しつつバディもの、ミステリといったエンタテイメントとして仕上げている「相棒」らしい作品だと思います。
縦横無尽に駆け回る特命係と(駆け回るのは主に薫?^^)、テロ阻止の為に知恵と行動力を注ぐお馴染みのレギュラー陣、奔走の果てに当事者たちのみが互いを認識する、クライマックスの真犯人との対峙シーン・・・サントラで言うと「式典」にあたる部分の演出がとても好きで、ゾクッとするような、といってしまうと月並みな褒め方なのですが、(以前も書いた気がするのですが)洋画ならこの圧巻のシーンでブワーッと終わっていきそうなところを、事件の渦中に深くかかわりながらも全く立場の異なる二人の“娘”による“父への弔い”や手紙のエピソードで締めくくっていく・・・
ラスト、3万人のランナーと15万人の観客を守る大活躍をした刑事二人も、数多の人々が暮らす大都市東京の一部分に再び紛れていく・・・TV放映ではエンドテロップが切られてしまう・短縮されてしまうことが殆どなのですが、TVシリーズの名曲「終わりの始まり」の劇場ver.である曲とともに空撮へと移っていく余韻はいつも胸打たれるものがあります。

米沢ファンとしては、顔認証システムが一定の効果を奏した劇場版1作目の大事件の裏で米沢的に極めて重大な事件も起こっていた!という「米沢守の事件簿」も是非お勧めしたいのですが、映画版放映の主な趣旨は当然ながら公開迫る劇場版IVのキャンペーンでしょうので・・・
TVシリーズがこのところかつてのテンポの良さを(職人技的な意味で)取り戻したかに思える点は単純に喜んでいるのですが、一方で櫻井氏回が急先鋒であったであろう、新たな技術や制度にまつわる功罪をいち早く題材にする姿勢を求めにくくなったのも若干寂しい・・・櫻井氏の取材力と着想力に追いつくものがあるのかどうかと、米沢さんの退場でストーリー上の証拠(物証)主義の側面が軽視されなければよいのですが・・・まあ・・・ないものねだりです・・・
ということで、「IV」より遡ること1年前という設定のキャンペーン的前後編の前編S15-13「声なき者~籠城」も見たのですが「もはや私は存在しないと思ってください」とのたまいながらかなりボルテージの高い感じで存在している米沢さんが後編、そして劇場版IVでどのような活躍をなさるのか期待が高まりますね(私にとって)!・・・もとい、橋本監督と撮影の笹村彰さんという組み合わせは伊丹ン映画「X-DAY」のコンビだったと今更気づきました。正直、「IV」はストーリーの事前情報を見る限り映画版1作目の題材の焼き直しでは?という思いがまず来てしまい(スミマセン;;)ある種のリメイクまたは冠城氏ファンの方が楽しめればいいのでは、という位のキョリ感だったのですが、相棒世界の既存のキャラクターたちがスピーディに動くという点においては今回の前編はちょっと期待を持たせてくれました。お話のほうは少なくとも前編においては謎を小刻みにつないでとにかくスピード重視の感じで、“籠城犯が要求する肝心の女性が既に死亡していた”“その女性をめぐる各方面の思惑”が後半でどう処理されるかが、太田女史担当回に個人的に感じがちな「因果が逆に見えてしまう感」回避を成し遂げるためのカギになりそうではありますが・・・
映画「IV」は・・・どうしようかな?私は「II」での重要人物の死が「衝撃のラスト!ネタバレ厳禁!」的に劇場への誘導素材の一つに用いられたことを未だに不満に思っているのですが(<根に持つタイプ)、イヤ、それが物語上の真の終着地なら何故シーン82をカットしたのか(DVDエクステンデット版には存在)、むしろその出来事を起部にもってきて、何故彼が命を落とすことになったのかを右京が追うという組み立てにしてくれたならまだしももう少し納得できたのではないかという・・・ですので、「II」で答えとして打ち出されるべきだった、“それでも地上に立ち続ける右京”を観客に示したのは、放映順は先であるものの時系列的にはそれより後のS9「暴発」だったと今も思っていますが・・・
でもIVの警察学校の米沢さんは見たいですね(ゲンキン)・・・まあ、しばらく迷います。

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しょっぱい塩結び

相棒S15-12「臭い飯」を見ました。白骨化した遺体の傍らにあった、大手食品販売会社タキガワの偽装を告発するメモ。身元や死因を示すものが何も見つからない中、DNA判定から元受刑者の蜂谷という男であることが判明する。出所後の再就職先で不正を告発しようとしたが為に口封じされてしまったのか?
右京は、蜂谷が姿を消した約1年前と同時期に、同じくタキガワで職を得ながら軽犯罪で再び刑務所に入った亀井という男が気にかかる。社会復帰を目指していた蜂谷とは異なり、亀井は20年にわたり出たり入ったりを繰り返している典型的な累犯だった。またタキガワと関わりの深い女性シェフに入れあげる冠城も、法務省時代に自らが関わった制度=出所者の雇用促進のための企業に対する制度が、補助金目当ての企業側の事情で数の上のみでの成功を収めている現実を事件を通して目の当たりにする。
今回はなかなか堅調だったように思えます・・・冒頭のレストランのシーンでちょっとダレるかなと思いきや(ここのボサノバっぽい曲は冠城編独自の曲なのでしょうか?)、笹野高史氏が飄々と、しかし地に足の着いた形で作り上げる亀井のキャラクターと右京の対峙が起・承部の進行とともにテーマ上の色々なものを取り込んでじわじわアップしていく感じで、きちんと転・結部分での完成に繋がっていく流れがよかったです。あとは、冠城氏の設定がようやっと活かされたというか、S14「2045」でも試みられてはいましたが少なくともワタシが見た範囲の有効打はそれ以来ですね・・・(間が随分飛び飛びですので根拠のない統計です・・・;)テーマとしては、犯罪とその後のさまざまなものの回復の困難さ、立場の弱いものが声を上げることの困難さとの二本柱で、後者に集約していきながらも「だからこそ社会で生きていかなければならない」と述べる右京の優しさ、厳しさは「相棒」らしかったと感じました。元日SPでの「テーマを取り上げようとする意図は解るが描写が伴わない」感への残念さが少し解消されたかな?
あと、警視庁内部のセットが全般にいつもより手狭かつ簡略に思えたのですが、中華料理屋の卓グルグルとか銭湯とか鉄工所とか、ロケでボリュームが補われていた印象でした・・・じつはS15-11も見たのですがそちらはインターバル回というか・・・“普通の刑事ドラマ”に相棒の登場人物たちが客演している感じで(中園参事官はじめ相棒メインキャラクターの方々は芸風の幅が広いので(笑)元より違和感はないのですが、冠城氏が一番自然に見えたのが何とも・・・)、S15-4も9もよかったけれどあまりそちら方面(時事性、風刺性より抒情性が優勢)だけに行ってしまってもどうかなと思っていた矢先でしたので、別脚本家さんでバランスを振り戻すお話が来てちょっと安堵しました。
それはそうと次回は劇場版公開前のキャンペーン的なお話のようで・・・米沢さん、神戸君・・・?!私は未だに劇場版IIIを見ていないのですが(退役視聴者です・・・汗)IVも公開は来月ですか・・・ううむ・・・

笹野氏ゲスト出演回というと亀山期、大企業による不正隠ぺいの構図をシビアに描きつつ、右京と薫のその先にあるものまで予見していたかのような「殺人ヒーター」は個人的に名作に列挙したい1時間作品の一つですが(これも単独では感想を書いていなかったなァ>あっ違った、一応書いていました(自分で忘れていた(滝汗))・・・S1「殺しのカクテル」からS6「琥珀色の殺人」までの物語があった三好倫太郎、プレ期“めしや食堂”での一件からS3における警察ハードボイルド「警官殺し」まで関わることになった阿部貴三郎、S2の前後編「雪原の殺意/白い罠」、犯罪当事者のその後も続く苦しみを多角的にとらえた作品群の集約の一つともいえるS10「逃げ水」・・・“物語”は所詮現実ではないとは知りつつも、ごく狭い・・・本当に狭い経験と視野しか持たない私にも、現実世界の一角を知らせて考えさせてくれる物語というのは得難いものでした。
や、やはり鋭い問題意識と取材力を兼ね備えた過去の櫻井武晴氏の脚本回を除いては少なくとも私の中のS1~S10「相棒」世界は成り立たないのですが、現行の「相棒」がそういう視点を持ち続けていくのかどうかも気になっているところです。

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無かった街

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今回の相棒S15元日SPにおける極個人的な最重要トピックとしては冠城氏がチラッと言及した「黒縁眼鏡の教官」をおいて他に何があろうかと・・・そこを詳しく・・・そここそ詳しく・・・というかそこのみでも可です・・・むしろ米沢教官で1本バンと(無茶)
97%本気の妄言はさておき(残りの3%は「いくら“異常事態の地元警察”を描くためとはいえ冠城氏に鑑識の真似ごとをさせても・・・それに彼はいつぞや肉眼で光学分析を」という(<しつこい))、今回のお話の舞台は前科のある移住者を積極的に受け入れる独自の都市再生策を打ち出す架空の街・黒水市、警察官の失踪と不自然な団地住人、非協力的な地元警察・・・欠員埋めの駐在員として赴いた特命係が閉ざされた街の中で事件を追う、と概要だけ書くと興味を持てそうなのですが、如何せんお話の基礎部分と建造物にそれらを支える強度がなく、足場を組んで外装はどうにかしてみたが最終的にバラバラになってしまうという・・・何より、国家権力としての警察のありかたや冤罪問題、犯罪を犯した人の更生・・・といった「相棒」がこれまで(少なくともS10くらいまで)重要なテーマとして多用な角度から繰り返し扱ってきた命題がほぼシチュエーション作りの素材のような扱いになってしまっていて、甲斐父のシリーズ上での位置づけ再確認や、監察官殿久~々~の登場といった継続視聴層への注意喚起はそれなりに盛り込まれていただけに、そこまで地盤工事は(過去シリーズというバックボーンにより)済んでいるものがなぜこうなった・・・という思いでした。
この脚本家氏の担当されたS13~15元日SP(飛び飛びながら視聴している通常1時間枠作品も同様)を振り返るにつけ、“みんな”と“みんな以外”の間に横たわる越えがたい断絶、法とは位相の違う部分での人生の理不尽への虚無感、とのようなものが作品テーマのうちかなり大きな部分を占めていらっしゃるのではという印象を持っていて、虚無は虚無として自身の人生の中に認めていく右京の姿で終わっていくS13元日SPなどは(これも話のための話、という感は免れなかったのですが、それに終始しない作品作りには平岳大氏や石田ゆり子さんが扮したゲストキャラクター、和泉監督による演出の寄与するところが大きかったでしょうし、最終的な右京の相棒が日野警部補だった(?)ということもあって)難点・苦手な面はあれど視聴後にそれほど悪印象は持っていなかったのです・・・それだけに個人的に感じるマイナス面が13→14→15と拡大してしまっているのが残念でした。今回の、救いがたい真犯人の愚かさを哀れむ右京、というのはある部分では右京のキャラクター像に合致しているのですが、かつて真に軽蔑すべき権力者の犯人に「お分かりにならないといけないので教えて差し上げましょう、あなたのことですよ」とまで親切丁寧に説明していた右京の凄みに比べるとやはりやや文脈に沿わない感・・・
画面づくりとしては、ちょっと懐かしい感じの日本家屋の中の特命係(こたつに入る監察官殿と社さん・・・)という映像面は面白かっただけに事件描写のキツさがキツかったというか・・・刺激性、陰惨な場面の閾値が年々上げられている印象については今回も同様で正直冒頭から大いに視聴意欲をそがれるのですが(事件ものなんだから昔だって残酷描写はあったでしょと言われそうですが、過剰な映像は多くの場合避けていましたし、事件の非情さやその背景を描いていくこととバイオレンス描写は比例しないと思うのですよ・・・)、これは時代の流れとしてそういうものなのか、今回のテーマにかかる部分もあるだけに引き続き困惑するところでした。
(!以下、結末にかかるネタバレ言及ご容赦ください)黒水市市長に扮した八嶋智人氏は熱演だっただけに、終盤の種明かし(というにも唐突な)部分でそれまでのすべての齟齬を個人の異常性に帰着させてしまう大味さが残念でした(つまり、何故これまで見過ごされてしまってきたかの布石なしに・・・S4-S5で砂本氏脚本から櫻井氏脚本へと受け継がれていくウィンパティオルシリーズはそこを糸口に“異常でない犯罪心理などあるのか”というテーマまで肉薄します)。
既存の重要なサブキャラクターを道連れにその回のみのゲストキャラクターたちが仁義なき戦いの末に破滅するS14元日を経て(右京の言動がザルというオプション付き)、今回S15元日SPは物語を成立させるために公官庁システム自体がザルという大胆な設定を盛り込んでしまったため(褒めていません=_=・・・真の意味での大胆な設定とは、スマートフォン普及前の時代あって未来予測的な事件のマクガフィンを的確に設定した櫻井武晴氏脚本「サザンカの咲く頃」や、監視社会の功罪を突くためにそのテクノロジーの周辺を限られた分数で現実的に・説得力をもって描いた同脚本「神の憂鬱」のようなものをいうと考えます・・・)、大杉漣氏扮する衣笠副総監と眼鏡ではないほうのサイバー担当・青木青年周辺の設定に関しては今後極力何らかの説得力ある物語上のフォローをお願いいたしたいところですが・・・
あッそこは別に、眼鏡のほうのサイバー担当・岩月君がアナログ般若刑事と再びタッグを組んで警視庁備品入札の闇に挑んだり、前科者の更生を阻む闇に立ち向かうべく下町の熱血アンタッチャブル相原刑事が米沢さんを巻き込んで黒水市警察署の面々を奮起させていく、とかでも全然構わないんですよ・・・ええ全然・・・むしろそこを(拙文冒頭に戻る)

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時間軸方向の歩哨

昨年大晦日にEテレで放映された井上ひさし氏作のこまつ座の舞台「きらめく星座」、昭和15年秋から明くる年に向けての市井の空気をふんだんに盛り込んだ、浅草の小さなレコード店・オデオン堂を舞台にした歌あり笑いありのドタバタ劇---の背景はしかし、先の大戦に突入する前夜の日本に他ならず、凄いなと思うのは、≪戦争への不安≫は、平凡な善良さで登場する劇中の人物たちより、むしろその70年以上未来の日本を生きる観客の側にこそ存在している・・・彼らの生きる世界がこれからどうなっていくのか、登場人物には未だ微塵も知らされない重大な事実を、観客は常に意識しながらドタバタ日常劇を見守らざるを得ない・・・
大好きなジャズが聴きにくいご時世に窮屈を感じながらもつつましく暮らす間借人のインテリコピーライターも、憧れて兵隊に行ったのに轟音ばかりの砲兵隊暮らしに耐え兼ねて脱走兵となるお気楽長男・正一も(彼が様々な身分になりかわってほうぼうを逃げ回っては実家に見聞を持ち帰るのがある段階まで笑いの要素の一つなのですが、地方の男手が兵隊にとられていく様子や、中国における日本の動きなど当時の社会情勢を端的に観客に伝える役割も果たしている)、店が憲兵からにらまれて整理されることを避けようとするあまり「娘を傷痍軍人と結婚させれば“美談の家”になって見逃されるかも!」と軽率に考えてしまうレコード店の美しき後妻も、そして純粋で献身的な娘・みさおの婿としてオデオン堂一家の一員となったもののマイペースな人々にイライラし通しの軍人気質・源次郎も、日々目の前のことをどうにかするのに精一杯の様子は現代とそう変わりはしないように思えてならず、それだけに一観客としては“普通の生活”はそう簡単に壊れはしないんじゃないか、色々あっても彼らに限ってこのまま元気に生き抜いていけるに違いない、とつい希望的観測で観たくなる・・・
それは実際、少なくとも劇中に切り取られる数か月の中では、源次郎が次第に家族の一員となっていく様子(義兄弟の正一を嫌々ながら庇っていた筈がいつしか本当に仲良くなっていく様子がよい)や、ユーモアのあるボヤキ(徐々に物資が乏しくなっていく、コピーライターが仕事を変えざるを得なくなる)とともにどうにか維持されていくのですが、「相棒」でお馴染みの山西惇氏が暇課長とは全く異なるタッチで演じるところの、大日本帝国の大儀を信じて疑わなかったはずの傷痍軍人の源次郎が、終盤のあるエピソードにおいて突如観客に対して可視化することになる、その国、その時代における≪普通の生活≫の根拠の希薄さ、すでに存在しない自分の右手の激痛として源次郎が苛まれざるを得ないもの---
この、忍び寄る戦争の気配に嫌悪を感じながらも何とか日常を続けていこうと奮闘するオデオン堂の人々の様子と、戦えなくなった自分への負い目を国家への過剰な同一視で埋め合わせようとした源次郎のありかたが、一瞬にして交錯し、必死に維持してきた現実の空虚さが瞬く間に登場人物たちの足元に奈落の口をあける後半の一場面が恐ろしく、しかし果たして、それでも空に星は輝き、世界は続いていく・・・
結局はオデオン堂が整理対象になってしまうことが観客に告げられるラスト、ささやかな“解散パーティ”でむしろ前向きに言及される、それぞれの新天地としての満州、長崎、銚子の地名・・・
それらの地がその後どのような戦禍に苛まれるか、知ってしまっているがゆえに焦燥感さえ抱く観客の側から、善良で平凡なオデオン堂の人々にそのことを伝える術はない・・・
そして70数年前の人々を心配する現代の観客である自分自身、実は彼らと似たような背景の舞台に立っている登場人物Aでない保証は何一つない・・・昔の話、といいつつ現代と変わらぬ日常の明るい表現の向こう側に、それが必ずしも再び訪れない時代ではないという不吉な予感を垣間見るような、複雑な思いの残る物語でした。

まる1年経っての感想とは・・・(イエ・・・何となく機会がなかったのです・・・)今井朋彦さんが朗読をされたNHKラジオ第2の朗読番組「戦後70年 日本人の平和と戦争」(2015年夏に放送)も触れたいと思いながら結局今に至ります。これら演劇や朗読や、「24年目の復讐」(怪奇大作戦)「正義の翼」(相棒)、映画「日本の一番長い日」などのほうがどうも私には、現職首相が真珠湾に行きましたという現実世界の2016年末のニュースより実感をもって感じられるのはどうしたことなのか・・・
今年もあと僅か、年が明ければ元日です(当たり前)元日と言えば相棒元日SPです・・・退役視聴者となって久しいワタシもついに社さんを世界観に含めるべき時が?それ以前に今回は集中力を切らさずに見続けることが出来るのか?;尤もソレがきっかけで2016年年始にテクノダンスユニットのWORLD ORDERに突然関心をもったり、よもや思ってもみませんでしたので自分で振り返ってもどこか現実感がないような、不思議な感じです。
どうぞよいお年をお過ごしください。

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星を見上げて

中学時代の写真部仲間“テンモン”が死んだ。雨上がりの夜、不法投棄の横行する産廃場で・・・幸せだったはずの家庭も、カメラも捨てた10年以上の失踪の果て、自分に向けられたカメラに異様な敵愾心を示す様子や、産廃場の経営者に頭を下げて現金を渡す様子が不法投棄に反対する住民の間で目撃されていた。組対五課課長・角田は、“テンモン”の死について右京に相談をもちかける。
相棒S15-9「あとぴん~角田課長の告白」を見ました。地道な手堅いつくりで、冠城編に関して今のところ私の中で1位につけている実験的作品「物理学者と猫」に次ぐくらいかもしれません(かなり見逃しているので特に意味のない順位ではあります)・・・特に冒頭の5分程で起承転結の「起」部概要を手際よく見せてその後をじっくりと語ってゆく手法は亀山期に誇った「相棒」節がまだ失われてはいないことを告げてくれ、色々と気が散ってしまうこともなく自然に物語世界に導入してくれたのが有り難かったです。
お話のほうも幾つかの側面を組み合わせながらも変にひねりすぎず、ある事件の良心への呵責から人生を投げてしまったかに思えた男たちがどうにか自分を取り戻そうとするさま、思春期の思い出と友情、いつもピントが後方にずれてしまうことから“あとピン”とあだ名されたその写真の癖のように、前面の目立つ生徒ばかりでなく、その後ろにいる子どもたちにも常に眼差しを向け続けていた恩師・・・それらが全て≪写真≫という今回のテーマとかみ合って語られていく様子は終始飽きさせませんでしたし、ちょっと疲れていたこともあって節目節目に他愛なくうるっと来てしまいましたですね(亀山期BGMの多用!)・・・こと、テーマが写真からぶれなかったことは近年作においてはちょっと珍しいくらいに(そうでもない?;)評価点かと思います・・・
職人気質の点では米沢さん同様の新鑑識・益子さんの、米沢さんとは異なるサバサバさも(伊丹刑事の刑事らしさを見せる点で)巧くバランスを移行している気がしますし、本当にちょっとしたことなのですが、同脚本家さんの前回登板「出来心」といい、映像の形で完成するまでにある程度のブラッシュアップがなされているような印象を受けます。勿論脚本自体の出来が無関係なはずはないのですが、例えばあんまりプロットのまま撮影されてしまったようなものを観るとお話以前に「誰もチェックしなかったの?スケジュールがなかったの?」とあれこれ気が散ってしまうのですが;、そういうことがあまり起きないというのは作品作りの体制が機能しているという事なのでしょう。
俺たちの弔いだ、と現像のために集まった仲間たち、“テンモン”が最後に撮った写真を、今わの際の“あとピン”に届けようと走る角田。そしてラストの、いつもの特命部屋での右京の長い推察と、それをかわす暇課長の姿・・・
今回は映画版以外では珍しい?暇課長の割と長いお芝居もみられて、そのいつものペースぶり(でありつつ“能ある鷹は爪を・・・”的な部分もちゃんと表現される)も安心して物語世界に入れた要因でした。以前、雑誌に掲載された「暴発」(櫻井武晴氏)のシナリオを読んだとき、これは凄い、「相棒」とは全く別の警察ものとして映像化してもきっと注目を集めるのでは、と思った次の瞬間に、この回では組織の暗部に気付きながらも上に立つもの故にある種の形でそれをのまざるを得なかった角田課長の、特に感情の吐露でもない物語の展開上のちょっとした台詞も、山西惇氏演ずるあの口調、タイミングで脳内で再生している自分に気付いて、ああ、やっぱり「相棒」の、あの座組でこその1時間枠での濃度なんだ・・・と思い直したことを思い出したりしました。

写真・・・私は・・・素敵な人が撮った素敵な写真や映像をみるのが凄く好きで(妙な日本語)・・・見目麗しい人が被写体となる写真も勿論徳の高いことですが(笑)、感受性豊かな人が綺麗だ!と感じて、技術や感性を駆使して切り取った風景や一瞬を、あーこれがこの人の見た世界なんだ、と享受・追体験できるのはドキドキしませんか・・・
時間も場所も無関係に感動や事実を見る者に届ける“写真”の優れた面と、それゆえ使い方を誤れば簡単に欺瞞も暴力性ももちうること・・・今、巷の「相棒」ファンは全く別の経路でそのことに思いをはせておられるような気もいたします。

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戦記

今井朋彦さん見たさに、既にドラマ終盤の「真田丸」を相変わらずチラチラ見ているのですが(汗)、今日の回は観ていて何となく「トロイラスとクレシダ」を思い出してしまった・・・というのは似ていたという意味ではなくて、「トロイラス~」で今井さん演じたところのユリシーズはギリシャ軍にありながらそこが血気に逸る荒くれものの寄せ集めであるのもかなり客観的にみている職業軍人的なスタンスだったかと思うのですが(それゆえ優勢にありながら統率しきれなくなりつつあったギリシャ軍を再び戦場に差し向けていくことができる)、「真田丸」で母や弟も含めて豊臣側にある大野修理はそういうわけにはいかないのだなという・・・権力を握る母を諫めてみたりご機嫌を取ってみたり、戦況への態度の違いが同じく豊臣を守りたいはずの兄弟間の不協和と連動してしまったりと色々と大変な目にあうのですが、厄介ごとは自分が引き受ける、と伝えた幸村に対しては心配かけまいと痛々しい怪我姿で「ただの身内のもめごとだ」と笑って返すという、あの手をポンポンとやるところに切なくなってしまいました。
そして兄弟の絆と難しさは真田家も同じで、子ども同士の反目、息災を知らせる手紙の行間に死地に向かう弟の真意を悟る兄(銃に火薬を詰める弟の様子と手紙のモノローグ、兄の表情・・・のカットバックがよかったです)・・・私はM谷氏脚本の、キャラクターの動静で話を振り回す感じにちょっと苦手意識があったのですが、軍記ものはある意味すべてが過去形ですので(汗)普通のドラマで感じがちな「このキャラのこの行動にどんな必然性が?(どうも話に起伏をつけるために動かしているように見えるなァ・・・)」でなく、「何年何月、これこれこういうことが起こった(→そしてその続きを叙述していく)」という段取りがニガテ個所を軽減してくれたのかもしれません。

12月になってしまいました・・・ということは牧史郎さんの誕生日です・・・即ち真珠湾攻撃の日です・・・(い・・・い・・・いや、クリスマスとか、もうちょっと華やかな話題があるでしょ・・・)「トラ・トラ・トラ!」ってもっと古い映画かと思っていましたら怪奇大作戦のほうが古いんですね・・・(公開時期が前後しただけで撮影時期で言えばほぼ同じくらいなのでしょうか?)昨年末にEテレでみた「きらめく星座」の感想も書きたいと思いつつずっとそのままになってしまっています。
等と言いつつ、利用駅周辺のライトアップが始まると何も予定がなくとも(泣笑)何となく眺めたくなりますし、来週からはまた今井朋彦さんが仙人役でご出演のラジオドラマ(見た目は若い男で殺生が嫌いで至って飄々としたこの仙人役、好きなのですよ・・・シリーズによってご出演は多かったり少なかったりしますが)を録音するのに躍起になっているような気がいたします。

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物質界見学旅行

「GENKI SUDO PRESENTS WORLD ORDER in BUDOKAN」(2013.04のライブDVD)を観たのです。ライブ映像というとアルバム「HAVE A NICE DAY」付属のZeppツアー映像(2014冬)を既に見ていて(過去記事(1) (2))、これ1つでも大変満足感があるのですが、物語性を感じるようなZeppツアーの表現に対して、「in BUDOKAN」はまるで≪現象≫自体をとらえようとしているかのようにも思える・・・
オーケストラからデジタルな音色に移っていく「OVERTURE」~「THE HISTORY OF VOICE」はどこかプログレッシブ・ロックの趣、ゆっくりと暗い舞台上に上がってきた彼らがはじめは秩序立って、やがて無秩序に動き回り、時々衝突するかのように、互いに接触した相手の体の向きを変えたり、手を挙げさせてみたりおろしてみたり・・・影響を与えるもののそこには表情も感情の行き交いらしきものもなく、まるで微粒子のブラウン運動のようにも見えます。この、“現象”それ自体であるかのような挙動は、彼らのテーマソング的な「WORLD ORDER」を挟んでのインストゥルメンタル「CIRCLE」にも現れて、同心円を分割しながら再び元のモードに戻っていく様子は数学の得意な方なら計算してくれそうな雰囲気です(??)。
「CHANGE YOUR LIFE」から連なるメンバーのソロ演技、しなやかで激しい上西氏、男っぽく精悍な高橋氏、洗練された動きの野口氏、少しのユーモアを含む落合氏はここではグラマラスな雰囲気です・・・内山氏と森澤氏はZeppツアーのタットで会話する接近遭遇場面?!が好きなため公平に見られません(汗笑)足元を照らす光の動きとの同期が美しく、「CIRCLE」等と並んでこういうスクリーンセーバーがあったらいいのにと思います(いつもそれですね・・・)須藤氏は?彼もロボットダンスで登場するのですが、意識レベルよりもフィジカルなものが優勢のフィールドでは、その記憶はダンサーになるより以前のものと混濁しているかのようです・・・踊っているのか、朦朧としているのか、彼に“照準”が合わせられていることを見せる俯瞰ショット、感情を持たない身体だけの影たちが前後左右から近づいてくる・・・危機一髪!というところでぷつりと曲は終わっていきます。
ところで、弦楽とピアノで原曲に新たな解釈を与える楽曲アレンジに並んで、この公演の大きなセールスポイントの一つが観客にぐるりと取り囲まれたセンターステージ、上階や俯瞰を含めて全方位対応のパフォーマンス・・・とはいえ実はこの前半の段階では、上からの視点こそ華やかなライティングと相まって効果的なのですが、水平方向に舞台の縁を移動していく視点にはちょっと戸惑います(私がカメラ酔いしやすいせいだと思うのですが)。この“WORLD ORDERレール”によるカメラワークが素晴らしい映像を見せるのは後半になります。
話をもどしますと・・・「A BRAVE NEW WORLD」後の、あの四角い箱を被ったスタイルのままなされる幻想的な「CROSS」、そしてタイトル通り音のない「MUON」。規則正しさと僅かな揺らぎをもちながら、悲しみも痛みもなく、僅かな光の中でただ出来るだけ遠く、出来るだけ永く信号を送るかのような彼らの姿は、銀河鉄道の束の間の停車駅から見えた光景なのかもしれません。
銀河の中心を見る・・・須藤氏の明るくソフトな歌声によるサビがCMで印象的だった「FIND THE LIGHT」は、曲全体を初めて聞いた時はロマンに満ちた歌詞とドライブ感のある楽曲が意外な感じでしたし(そして無知な私はCM放映当時、先頭の一番いかつい感じの男性からその声が出ているとは想像だにできず「変わったパフォーマンス集団だな~、曲のアーティストはなんて言うんだろう?」と思っていたのですが(スミマセン・・・(汗)))、「BLUE BOUNDARY」と組み合わせたアレンジも華やかです。

そして、バイオリンとピアノによる哀愁と切ない緊張感を持った間奏を挟み、「MIND SHIFT」の世界観へと突入します。温かみと優しさの奥に胸の痛みを隠した、WORLD ORDERの中でも際立って精神的な側面をみせるこの曲、MVでもライブでも最大のクライマックスであろう“千手観音”の場面で、今回の“WORLD ORDERレール”が真価を発揮します。
千手観音、あれこそ正面から見せるパフォーマンスの代表格では?というところを、敢えてぐるりと回りこみ、更には“軸の組み換え”が行われます。須藤氏扮する、心の中を旅してゆくことになる歌の主人公をほぼ同じ速度で追う(つまり背景側の6名が相対的に向きを変えてゆく)ごく短いカット、身体を客席側に向けたままスルスルと横にステップを踏む須藤氏も、違う角度から見れば見栄えがしないどころかあたかも大きく広げた鳥の翼のように美しい姿をもつことが解る“千手観音”も、本当にあっという間なのですが、記録映像というだけでない、演じる人々と撮る側の息があった表現のように思えました。そしてこれがあったおかげで、続く「AQUARIUS」が“立っている/横たわっている”のでなく、水中のように全方位だという理解ができたような気もするのですが・・・(なお、「MIND~」から1曲のように続く編曲の「MACHINE CIVILIZATION」のオーケストラ以外の部分が、先のJ-pop SUMMIT2016に使われたバージョンのようで、生演奏と敢えて性質を異にしたパキッとしたアレンジが単体で聴いてもなかなかカッコ良いのではと思っています。)
最後を飾るのが「2012」。どこか不安なピアノの音色、巻き上がる雲、次第にせり上がってくる光、まるで人類が自ら生み出しながら自身で手に負えなくなった何かのように・・・星の生命の規模からすれば取るに足らない時間かもしれませんが、人類が悪戯に削ってしまうことは避けられるはず・・・“地球文明”を次々と映し出しながら、幾何学的で神秘的なモチーフで不思議な周期を編み出すパフォーマンスはZeppツアーとほぼ同様なのですが、終わり方が異なります。
秩序立った姿を解き、思い思いの輝きを放ちながら散らばっていく彼ら。終わりというより、始まり・・・エントロピーが増大する一方の物質界で再び何かが生まれる様子というのは、こんな姿をしているのかもしれません。

それにしてもDVDを見て、全方位というのは演じている側も見ている側も凄い緊張感だろうなあと思ったのですが・・・じつは・・・日曜日に汐留地下通路に行きましてですね・・・(滝汗)
夏のライブ「WORKING WORLD」のBlu-ray発売に先立ち、“街頭パフォーマンスするWORLD ORDERを撮ってみんなのPVを作ろう!”というキャンペーンだったのですが、プロモーションという名の事実上のファンサービス期間だったとしか思えません。身一つでやってきて(勿論音楽はかける)強い照明も音響もない衆人環視のなかで突然演じ始めるのですから、ごく短時間ながらも大変貴重な観覧経験をしました。
で、拙いなりに一生懸命動画は撮ったのですが、「撮った動画をSNSにハッシュタグで投稿しよう!」とは・・・(汗)実は何年か前、一度twitterを試みてあまりにも呟くことがなくて断念したことがあり(・・・・・・だ、だって相棒含めその時関心のあるものの感想は大抵ブログに書いてしまうし、リアルであろうとネットであろうと他者と交流できていないし(本質的すぎる問題)・・・)インスタグラムなるSNSもあるけれど生憎私はお洒落シチュエーションとは程遠い生活です・・・
とはいえ慣れないスマホで何とかアカウントをつくり投稿してみると、ファンの方々の沢山の投稿は愛情深く観ていて飽きないうえに、汐留回のみの参加だったうえにかなり端にいた自分の撮ったものも「これはあの時の私の角度でしか見えなかった映像なんだな」と愛着がわいてきますし、あまり機会のない体験をさせていただきました。たしかな技術と渋い生存戦略のWORLD ORDER株式会社の街頭宣伝活動でございました。

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麗人・月に魅入る・・・【ヒースロー教授の長い休暇】

季節の便りとなった感のあるヒースロー教授です・・・NHKBSのオムニバスドラマ+ドキュメンタリー「京都人の密かな愉しみ」、3作目で描かれた言語学者にして押しかけフィアンセであるエミリーからの逃亡、三八子の腹違いの弟である雲水・清哲との邂逅を経て、4作目となる今回は何と禅寺で寺男としてすっかり馴染んでいる・・・?!
団時朗氏演じる架空の文化人類学者をストーリーテラーとするこのシリーズ、京都生まれの団氏がその風貌を活かして“イギリス出身、京都在住11年”の異邦人になりきり京都を歩く・・・という虚実交錯の面白さこそ初期に比べればインパクトは減りましたが、美しい風景をとらえる慌てず騒がずの丁寧なつくりは健在で、今回は月と暦が題材です。
瓦越しに見える月のために置屋を選び、欠けていくその姿を心待ちにする芸奴、夫との関係が冷え切る中、河原で笛の稽古をする謎めいた男に心奪われていく骨董商の女主人。生と死を超える道ならぬ恋と、現世での道ならぬ恋。夜ごとに細く、夜ごとに躊躇い深く、彼女たちの内面と呼応するかのように夜闇を深めていく月の意味するものとは・・・
変化していく月の見えようにまで神様が割り当てられているとは・・・パラレルに描かれながらいつしか一つの点で交錯していく二人の女性の恋、美しい景観と欠けていく月の緊張感とともに何とも妖しい世界なのですが、最後にはオトナの恋愛もの然として全てが現世に引き戻されて終わっていきます。こ、こういうのを見慣れないのでなんだかソワソワしてしまうのですが(?)これでよかったのでしょう・・・
われらがヒースロー教授は?伊武雅刀氏演じる茶目っ気和尚とのやりとりが期せずしていい感じなのですが、盲目のふりをして人間観察をしたりするこの和尚、エミリーとの関係に悩むヒースロー教授になにやら入れ知恵をしたのか(この番組に次回予告はありませんが最後までご注目)・・・雲水姿といえば「怪獣使いと少年」ですよ!(スミマセン私はやはりこちら側(どちら・・・)の人間です・・・)そして和菓子屋の美しき若女将、三八子さんは?
深い愛情を三八子に注ぎつつも、老舗の後継者という重責からの解放と引き換えに自らの生前の責任を彼女に課し続ける亡父、健気で辛抱強い娘を誰より理解しつつもそれゆえ口うるさくなる母。腹違いの姉を思いながらも、沢藤の家に傷をつけぬよう俗世には戻らない決意をした弟。
言い合いしつつも仲の良い女将と若女将が月見の夕餉となる終盤の場面、いつも明るくお喋り好きな母鶴子から、月に誘われたようにふと漏れた心の内。
「あんたを、自由にしてやりたいなぁ・・・」
京都という長い歴史を持つが故の良さや煩わしさ、絆やしがらみを異邦人の目を通して愛情深く見つめた本作の“地の文”である沢藤家母の愛情にちょっとうるっとしてしまうラスト、果たして彼らの行く先は・・・
今回はヒースロー先生のロケ・・・もとい京都散策場面こそ見当たらなかったものの(でも巧く処理していて番組として違和感はないのです)、次作にも何となく期待をしてしまう4作目でした。2時間枠という長さにもかかわらず、地の文であるヒースロー教授のドラマに短編ドラマを1~3個含めるという自在さでゆったりみられますし、放映スパンも丁度いいくらいなので、「相棒」もこんなスタイルになってもよいのではと思うくらいなのですが(いえ土ワイではなく(汗))・・・CMを入れずに済むNHKならではの長所なのかもしれません。

閑話休題、京都と言えば「怪奇大作戦」(違う)、怪奇大作戦と言えば最近の私にとってはWORLD ORDERです(更に違う)・・・「in BUDOKAN」(2013年のライブ)DVDを見ましたらば、こちらもまた現代的なスタイリッシュな表現から宮沢賢治の宇宙観のような表現まであって素敵でした。ちなみに宮沢賢治感は「MUON」でした・・・「2012」は文明滅亡をものすごく明るくとらえたWORLD ORDER的解釈だとごく個人的に勝手に思っているのですが(仮に「幼年期の終わり」のオーバーロードたちがこんなナイスガイな姿を持っていたらどんなSFになったのでしょう?(笑))、MVにはない、あの最後に思い思いの形でパァっと散って行くところが更にそういう気持ちに・・・エントロピーが増える一方の宇宙で再び何かが生まれる姿なのかもしれません。
グルグル回る“WORLD ORDERレール”にカメラ酔いしてしまいそうになりましたがホラ、実相寺アングルだと思えば(そんなわけはない)・・・そのうち感想を書けたら書きます・・・と、思っていたら夏のライブのBlu-ray告知映像が出ていて思わずポチッと・・・あ、あれ?(汗)

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詐欺師と不審な二人組

相棒S15-4「出来心」を見ました。美人局のルミコを自分の妻役に仕立て、聖書を説く慈善NPO会長に扮する“おっちゃん”。偶然の通りすがりにひったくり犯を撃退し、「名乗りもせずに立ち去ったヒーロー」としてネットには不鮮明ながら動画まで上げられるが、カモには逃げられるし、当然警察とはお近づきにもなりたくない。
そんな“おっちゃん”のもとに、「この地区への新規出店を考えているので話を聞かせてほしい」と二人連れの奇妙な男たちがやってきた。一方、町内やその近辺では、ストーカーによるとみられる若い女性の連続殺人が起きていて・・・
今回はお話の組み立て順序、演出のテンポ共々見せ方の手際が良く、ちょっと往年を彷彿とさせる感覚でした。お色気~のイカガワシイ場面で音楽がどれだけ安全弁になっていることか(ご覧の番組は「相棒」です!皆様お馴染みの「相棒」ですよ!と(笑))・・・異なる脚本家・監督による全く異なるタイプの話で比べるのもおかしいのですが、ひったくり撃退に遭遇=特命係があくまで警察官としてかかわっていく、リソースは(ストーカー事件が結びついてくる段階より前は)一般に公表されている情報である等々、先のS15-2に感じた難点がほぼクリアされていたのが個人的に高ポイントでした。
無理して色々盛り込まず、『詐欺師vs杉下右京の職人意識の高い(?)詐欺対決』という素材で勝負したところも勝因だったように思えます(あえて難点を指摘するとすればそれゆえ「相棒」の長所である時事性や風刺性には欠けるのですが、1話に全てを盛り込む必要はない)・・・だから過去作が正しくて近年作が間違っているとか、S15-2がダメでS15-4がよいという意味でなく、勘所を押さえるが故のそれ以外の部分の自由さ、逆に勘所を度外視してしまうと如何に「相棒」っぽいトッピングを載せてもうまくまとまらない対照例とでもいうのか・・・
ほんの出来心で人助けしてしまった詐欺師のことも、ほんの出来心で救ってくれた神様がいたのかもしれない・・・ラストは「あ、そういう方向に行く?行くよね」と半ば解っていながらほろりとさせて、且つさらりと手際よく畳んでいく・・・S5「せんみつ」での平田満氏もその1作にして十分記憶に残るキャラクターでしたが、今作においても風間杜夫氏がその造形におおいに貢献するところであったであろう詐欺師のキャラクターでした。

勘所というのは・・・櫻井武晴氏は「杉下右京は警察官である」という背骨をガッチリと通したうえで複雑な物語を組み上げるので見ている側は「えっ?!」思っているうちに物語世界に引き込まれてしまいますし、例えば神戸君ファンに人気の高い太田女史回も、私自身はあまり傾倒できずにいたのですが、まさかの“少女マンガタッチでコミカライズ可能な「相棒」”的世界を「相棒」の素材を活用してやりきった「運命の女性」は割と好きなのでした。
それにしても、「まあ気が向いた時だけ」と思いつつ2~4話まで観て、あまつさえ感想も書いてしまったじゃあないですか・・・(汗)どうしてくれるんですか・・・(べつにどうも・・・)私はS12半ば~S13半ばまではほぼ全く見ていないので社さんエピソードも知らないままなのですが(何故S13半ばで戻ってきたかって?徳永氏脚本による米沢さん回があったからですよ!(汗))、今のところ未視聴分を補おうという際立った動機もない至ってフマジメな退役視聴者なので、熱心な応援は現役ファンの方々にお任せして、今後もごくユルいスタンスにて視聴させていただく所存です。とはいえ、馴染めなかった前S14にも「物理学者と猫」のような好みの回が突如出現するからなぁ・・・(汗)

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